狂人作家         黒田幻の日記

    心理学・精神分析に興味を持っていた社会不適応者。ついに自分自身が精神病になる。    幻覚・幻聴実体験記「狂気」絶賛発売中!

介護、認知症に関して思う事①

 この事は、ここに書くべきか書くまいか、迷っていたのだけれど、やはり、認知症の人に対しては家族や近所だけでなく、社会全体の仕事としてケアできる体制作りが重要である、と切に思ったので、少しでも知ってもらう為に書くことにした。

 

 ここ最近、訳あって近所の足の悪いお年寄りの買い物代行や病院の付き添いなどしていた。

 話していると、とてもしっかりしているし、とても良いおじいちゃんだ。

 お弁当やみかんを買いに行けば、「お姉さんの分も一つ買ってきて」「寒いのに悪いねぇ」と気遣ってくれる。

 

 その方の事は、以前何度か見かけた事があった。

 本当に、すごくゆっくりとしか歩けなくて、「こんな状態なのに、自分で買い物とか行かなければならないのか。気の毒に。」と思っていた。

 ある夜、その方が、重そうな荷物を持って、というより、荷物を数センチ前の地面に置く、そして、もう片方の手で杖をつきながら、片足、もう片足を数センチずつ(誇張ではなく、本当に)ゆっくり前に出しては、また荷物を数センチ前に、という具合に歩いていた。

 私は見かねて、「良かったら、お荷物を運びましょうか?」と声をかけた。

 その方は、最初遠慮していたが、おずおずと「いいんですか。」と言った。

 私は、荷物を自転車の前かごに乗せると、その方の歩調に合わせて自転車を押した。

 荷物はごく軽いものだった。

 だが、歩調を合わせるのが本当に大変だった。

 自分ではごくゆっくり歩いているつもりでも、ちょっと油断すると離れてしまう。

 その方の自宅に着くまで(偶然、私のアパートのすぐ側だった)、チャリで往復5分と掛からない所を、本当に誇張ではなく小一時間もかかった。

 自宅が一軒家だったのが、意外でもあり、救いに感じられた。

 着くまでは、すごく狭くてボロいアパート住まいだろうと思っていたのだ。

 

 私は、その方の合意を得て、昔番号を教えてくれた民生委員の方に電話した。

 電話番号を教えてくれたのはずいぶん前だったが、つながって、その方の地区(私のアパートも同じエリアだと思うが)の民生委員を紹介してくれた。

 民生委員の方は、さっそく次の日に来てくれた。

 

 さっそく、介護認定を申請しましょうという話になり、認定が下りるまで2~3ヵ月かかるから、それまでの間、私が買い物を代行してもいいと申し出た。

 この時までは、足が悪いだけで、他には何の問題も無いと思っていた。

 

 民生の方が、「他に何か困っている事はありますか?」と言うと、

「申し訳ないんですが、足の爪が伸びて、それもあってますます歩きづらいんで、切ってもらえますか?」

と、靴下を脱いだ。

 

 その方の足の爪は、爪の病気で、とても分厚くなっていた。

 今は亡き父が、片方の親指だけであるが、同じ病気だった。

 爪の付け根に水虫の菌が入って、爪が分厚く変形する病気だ。

 それが、両足の全ての爪がその状態で、かなり伸びていて、足の皮も何層も剥けた状態になっていた。

 

 「これ、爪の病気ですよ。この厚さじゃ爪切りは入らないし…」

 「昔、病院からもらったペンチがどこかにあるんで…」

 「私が下手にペンチで切って、傷とかになっても…」

それも本音だったが、正直、移るのが怖かった。

 「これは、皮膚科で診てもらった方がいい。素人が切らない方がいい。」

そう民生の方が言ってくれたので、正直ホッとした。

 で、近々、近所の皮膚科に行く事になった。

 

 その後、民生の方が介護支援専門員の方に連絡してくれた。

 専門員の方が言うには、以前何度か見かけた事があって、車椅子の話もしたそうなのだが、その時は、まだ大丈夫、とか、この杖が気に入ってるから、とか言って支援を断ったそうなのだ。

 

 「車椅子で出る所を近所の人に見られたくない」と、その方は言う。

 皮膚科と、そのすぐ後に行く事になっている別の病院も、車椅子だったら介助できると思っていたが、それをどうしても使いたくないとなるとやっかいだ。

 あの近所のスーパーでさえ、小一時間もかかったのに、歩調を合わせて病院まで行くと思うと気が遠くなった。

 聞けば、その方は、月一の通院を、今まで、朝の7時に家を出て、11時の診察の為に4時間かかって行っていたらしい。

 結局、病院へはタクシーで行く事になった。

 

 前からかかっている病院はともかく、皮膚科はワンメーターちょっと位の所なので、わざわざタクシーを呼んで、そんなちょっとだと嫌な顔をされるんじゃという懸念があった。

 帰りもしかりである。

 なので、介護タクシーを手配して、帰りも電話したらすぐ来てくれるようにした。

 介護を売りにしている位なら、そうした事情にも理解を示してくれるだろうと思ったのである。

 私自身が通院で仕事の休みを取っている日に、私が病院から帰って来次第、皮膚科へ同行する事になった。

 

 そして、その当日。

 ズボンを履き替えるからと、私が台所に席を外していたが、なかなか出て来ないので、

「お手伝いが必要ですか?」

と声をかけ、ふすまを開けると、ジーンズを左右逆に足を入れて苦戦している所だった。

 だが、その事よりも、私はズボン下を初めて見て愕然とした。

 行く筋もおもらししたような跡、それが乾いて茶色い縞模様みたいになっていた。

 「あの、下着がかなり汚れていますけど、履き替えますか?」

 「でももう、タクシーを呼んでしまったから、すぐ来るでしょ?」

 こんな事なら着替えてから呼ぶべきだった。もう時間が無い。

 仕方なくそのままジーンズを履かせた。

 手が触れると、ズボン下も靴下もぐっしょり濡れていた。

 私は、悪いが、履かせ終わった後でこっそり手を洗った。

 

 皮膚科の待合室で待っている間、私は、その方にここで待っていて下さいね、ちょっと電話してきます、と言い、外に出た。

 支援専門員の方に事情を説明し、もう何カ月も下着を取り換えていない様子だった事を話した。

 待合室に戻ると、ヤンキーっぽい女が露骨に嫌そうな顔をして、その方を見ていた。

 私は、鼻炎持ちでやや鼻づまり気味の事の方が多い。

 だから、今まで気が付かなかったのだが、実際かなり匂うらしい。

 

 かなり混んでいたが、やっと呼ばれた。

 皮膚科の女医さんと看護師さんは、努めて冷静に、爪をペンチでパチン、パチンと切って行った。

 帰りは、薬局で塗り薬をもらって帰った。

 

 介護タクシーの運転手さんは、とても親切に接してくれていたが、帰り、その方を先に家の中に入れてから、私に言った。

「率直なお話、あの匂いは困ります。他の方も乗せるので。別の日にまた違う病院に行かれるというお話でしたが、匂いは何とかしてくれないと、私も引き受けられないし、他の仲間も紹介はできませんから」

 

 介護支援専門員の方は、

「別の病院へ行く日までに、なんとかお風呂に入れて着替えさせます」

と、言ってくれた。

 

(次回に続く)

未練なのか?

 今朝、お互い通勤途中で、以前付き合っていたSちゃんとばったり会った。

 付き合っていた、というのが、普通の人が想像する付き合いとはちょっと違っていたかもしれない。

 なにしろ、向こうはMTF(身体は♂、心は♀)寄りのMTX(身体は♂だが心は中性)で、私はFTX(身体は♀、心は中性)だ。

 

 Hは一回も無かった。

 お互い、身体に違和感のある同志のカップルはけっこう世の中にはいて、それでも、付き合っていたらH位あるのは普通だったりする。

 が、Sちゃんは、可愛いけど、手を出したらとんでもない事になるんじゃないかと、私の方が思っていたので、ずっと何も無かった。

 

 待ち合わせに2時間も遅れて来たり、弟が借金をしていると言って(それは問い詰めると限りなく嘘くさい話だった)お金をだまし取ろうとしてきたり、私の家に転がり込む事になっても、家賃は私の方からいいよと言ったのだが、食費すら払おうとしないわで、私はSちゃんの事を、正直言って信用できなかった。

 何を考えているのかよく分からなかったが、たぶん、Sちゃんは、自分は心は女なんだから、パートナーに養ってもらって当然とでも思っているのかな、という感じがした。

 

 私は全く社会に適応できない底辺なので、悪いが、養う事はできないし、なんだか、騙されそうな感じもしていたので、手を出さなかったのだ。

 

 が、Sちゃんが不思議なのは、そういう、相手を騙したり振り回したりする人がしそうな派手でお金をもらえそうな仕事や、楽に稼げそうな仕事には見向きもせず、地味でコツコツ系の仕事や、肉体労働系の仕事にばかり就くところだ。

 

 私は、Sちゃんには何度も騙されかかったり裏切られたり試されたりしたのだが、この点で、今でもやっぱり彼女(身体は♂でも、心は彼女寄りなので)をそんなに悪く思えないでいる。

 典型的な小悪魔、というより、清純可憐なイメージにさえ見えてしまう。

 だが、近づくと、やっぱり何を考えてるのか分からない人なのである。

 

 男の子の格好をしていると、本当に普通の男の子だが、女装すればパス度は決して低くないし、それなりに綺麗だった。

 なんで、ニューハーフとして働かないのか不思議だった。

 

 以前、彼女はブラックな運送屋に入ってしまい、社長から多額の賠償金を脅された事がある。

 その時、私は労働基準監督署に連れて行った。

 ありのままを話すと、明らかにあっちが違法なので、賠償金に関しては事なきを得たが、ただ働きした分の給与は、貰えなかった。

 その月の生活費に困らないかと聞くと、「3万円貸してくれれば大丈夫」というので貸した。

 次の仕事をどうしようかという話になって、「やっぱ水商売しかないのかなぁ」と嫌そうに言った。

 水商売に悪いイメージがあるのか、元々騒がしいのが好きでないから向いていないのか、とにかくそういう方面には行きたくないらしかった。

 

一つには、性指向が純男さん(自分が♂である事に違和感のない♂)ではなかったからかもしれない。

 

 過去の恋バナで出て来るのはFTMだったりするので、予測だが、身体的には相手の身体が完全な♂型であるより、不完全な♂、もしくは♀型である方が好ましいとか嫌悪感が少ないのかもしれない。

 でも、純女さん(♀である事に違和感のない♀)とは恋愛できない、と言っていたので、自分に男役を求められるのは無理だったのだろう。

 

 そうだとすると、みごとに私の逆パターンなので、基本的に相性は悪くなかったと言える。

 

 だが、彼女の変な行動には本当に辟易していた。

 

 付き合い始めの頃は、極端に約束の時刻を遅れて来りしていた。

 私は、自分が子供の頃遅刻常習犯だった事もあり、どうやっても遅れてしまう人には寛大だ。

 ちなみに、私は今では遅刻をしないように、早めに準備して早めに家を出るので、職場でも「早く来過ぎ」、待ち合わせの人にも「なんでそんなに早いんですか?」と言われる。

 ぴったりの時間に行こうとすると、必ず忘れ物で戻ったり、急にトイレに行きたくなったりしてしまうので、すごく早く来ざるを得ないのである。

 彼女もきっと、そうなんだろうと思って、一時間でも二時間でもボケーっと待っていた。

 そのうち、待っていても苦痛でない方法を編み出した。

 あらかじめ、待ち合わせを漫画喫茶のある所にするのだ。

 これなら、何時間でも苦にならない。

 彼女は、そうしたら、今度は時間通りに来るようになった。

 私を試していたのか?

 それとも、ドMで、怒られるのを期待していたのか?

 

 弟が借金をしていて、だから返済のために金をくれと言い出した時も、なんだか腑に落ちなかった。

 彼女自身が困っていて、というのなら出していたかもしれない。

 だが、この話には前振りがあるのだ。

 その数か月前、彼女の方から「旅行に行きたいね」と言い、そのうち、何度か行ったタイ料理の店で、「昔タイに行って良かったよ」「いいね、タイに行きたい!」という話になり、でもお金の面で、私はちょっときついな~と思っていた。

 で、調べてみると、以前私が行った時代とは違い、今は燃料サージャージというものもかかり、格安で見積もっても十数万円は掛かりそうだった。

 彼女にその話をして、そんなに掛かるんだったら、あきらめようという話になるかと思いきや、「その位だったらなんとかなる」と言うので、私は格安の旅行店を探し、どことどこへ行って、と彼女の希望を取り入れ、プランを練った。

 そうして、いよいよ二人とも戸籍抄本を取り寄せ、一緒にパスポートを取りに行こうという段になって、弟の借金の話が出た。

 毎月5万づつ返済していて、今までは彼女が立て替えていたが、もう払えない、あと2カ月で返済し終わるので、最後の2カ月分を私が払ってくれないか、と言うのだ。

 私は、なんか信じられなかった。

 弟が多額の借金をしていて、彼女が立て替えていたのだったら、そもそも旅行へ行きたいなどと言うだろうか?その時点で彼女の生活も苦しいはずである。

 しかも、あと2カ月で完済するという額が、ちょうどタイ旅行一人分に掛かる費用と同じ。

 どうしても、私がその位だったら出せる、と思ってその話をしてきた感が拭えなかった。

 私は「とにかく弟さんと話したい」「今は過払い金請求というのもできるから、そういう所に一緒に行くとかを相談したいから」と言うと、彼女はがっかりしたように「やっぱそういう方へ行くのか~」と言った。

 なんなんだろう、本当に困っているなら何らかの解決策が出れば嬉しいはずなのに。

 私が、ぽんと金を出すのを期待していたかのような。

 私は、とにかく弟さんと話をしたいから連絡先を教えろと言い張った。

 そうしたら、電話を切ってしまい、こちらから何度連絡しても拒否られた。

 こんな訳でしばらく音信不通になった。

 私は、この件についても不思議に思っていた。

 もっと悪質にだまし取ろうというのが目的だったら、あらかじめ弟役の人も用意しておくかもしれない。

 やっぱり愛情を確かめたいみたいなのが目的だったのか?

 

 彼女はそれでいて、タイミング的に私の誕生日がやって来る時期になると、必ずこういう事をするか、何もないんだけど「しばらく距離を置きましょう」とか言って音信不通になる。

 私の方は何度か、彼女に誕生日プレゼントを贈った。

 

 一緒に行くはずだったライブをドタキャンされたり(チケットは二人分私持ち。結局、一緒にバンドをやっているドラマーさんが買い取ってくれた)、私のバンドのライブも、会場まで来て、煙草を買いに行く、と言ってそのままバックレられたり。(この時もノルマ分チケット一枚分を私が払ったのだ)

 

 私が入院していた時期も音信不通になっていた時期だった。

 

 そして、ある時、突然連絡が来たりする。

 「今、大阪にいるの。東京にいるのが嫌になっちゃって、大阪の寮付きの仕事に行ったんだけど、仕事はきついし、人が合わない。悪いけど、そっちに荷物を送って、それから来てもいい?」

 私は、最初、「うちは狭いから、すごく広い部屋に住んでいるN君に聞いてみるよ」と言ったが、彼女はそれには「え?」という感じのリアクションをした。

 N君は「いつまでとか判っているんならいいけど、そうじゃないとねぇ…」と断った。

 この件に関しては、一緒のバンドのドラマーさんからも「Sさんもずうずうしいけど、そんな事を無関係なN君に頼む幻さんもおかしいよ!」と怒られた。

 結局、レンタルスペースを借りて、彼女と私の当面使わない荷物と季節外れの洋服を移し、狭いワンルームでの共同生活になった。

 

 私は、人と一緒に住むのは無理と思っていたが、一緒に住んでみた感じは、意外と苦痛ではなかった。

 彼女はあまりお喋りだったり、人に干渉するタイプではなかったからだろう。

 話し合いではなく、なんとなく私が食事を作り、彼女が食器洗いと床掃除になった。

 最初、全く仕事を探す気配がないので、当時私がやっていたピザ屋のチラシ配りのバイトを勧めてみた。

 一緒に同じバイトをやる事になり、そこでは一緒に住んでいる事は隠していた。

 彼女の免許証の住所は、大阪に引っ越す前の部屋のままだった。

 仕事はやりだせば真面目にやる人だった。

 大阪の寮は夜逃げして来たので(私は、給料日まで待って辞めたら、と言ったのだが、そうしたら絶対辞められなくなるというので)、最初はお金も無いんだろうな、と思って言わなかったが、彼女は食費も払わなかった。

 家賃はいいよ、と私は言ったのだが、それ以外の生活費は折半して欲しいと思っていた。

 レンタルスペース代は彼女が払っていたが、光熱費だってかかる。

 食事の支度は私がするので、帰りに食材を買ってくるのも私だし、たまに一緒にスーパーに行っても、支払いになると彼女はすうっとレジから離れてしまう。

 うちに来て最初に借りた1万円も返さないまま、ある時、お互い家に帰る前だったが「幻ちゃん家の住所ってこれでいいんだよね?」とメールで聞くので、「そうだけど、何に使うの?」と聞いたら、「お買いものですよ」と返ってきた。

 「買い物をする前に借りたお金を返さないか?普通」と思って、次に一緒にスーパーに行った時、レジから離れようとする彼女に、「あのさぁ、もうちょっと払って欲しいんだけど」と言ったら、その時は半分払ってくれた。

 だが、ちょっと悲しそうな不満そうな感じだった。

 

 結局、その後も彼女は生活費を払い渋り、私は、「以前の3万だって、次の1万だって貸したままなんだけど」と言った。

 そうしたら、彼女は「お金は返して、部屋は出て行く」と淡々と言った。

 私は「お金が無いんだったらすぐ出て行かなくてもいいよ」と言った。「引っ越し費用とか色々掛かるから、充分溜まるまではいていいよ」

 だが、彼女はすぐに引っ越し先を決めてきた。

 

 私には分からなかった。

 すぐに引っ越せる位なら、なんで食費や光熱費の折半位を嫌がるのか?

 金額の問題ではなく、「私が養ってあげる」と言われる位大切にされる事を期待していたのか?

 

 だが、私が甲斐性無しなのもあるが、私には元々、男が女を養うのは、女が子育てで働けない事情がある場合のみとしか思っていない。

 私が逆の立場でも、子供もいないし、全ての家事をやるわけでもないのに、丸々相手に養ってもらうなどとは考えた事も無い。

 

 そういう根深い違いが横たわっていそうなので、私は出て行くのを止めなかった。

 

 今日の帰り、駐輪場の側で、彼女に似た人が、そのピザ屋のバイクで走って行くのを見た。

 

一瞬だったのでよく見えなかったが、たぶん彼女だろうと思うと、生活は大丈夫かな?と思った。

 

 お水とか風俗でも働ける人だったら、そういう心配はしないんだけど。

(ちなみに、彼女は、年は私よりだいぶ若い)

 

 性別違和があるのに、男として、地味な仕事をコツコツとやっている姿は、いたいけな感じさえしてしまう。

 

 だが、もう振り回されるのはごめんだという気持ちとうらはらだ。

たぶんアスぺとADHDを合併している

 B型作業所に通っていた時、職員からADHDを疑われていた。

 面と向かって「あなたはADHDです」と言われた訳ではないが、計画相談の時、「よく、これこれこういう事をしてしまいませんか?」などの質問で、「はい」と答えると、やっぱり、という顔をされるので、たぶんそう思っているのだろうな、と。

 

 ところで、私の親は、たぶん両親ともアスペルガーだと思う。

 父は他界してしまったし、母も高齢なので、診断こそ降りていないが、話の一方通行さ、間の悪さ、回りくどさ、他人(子供等を含む)の考えや感情を全く理解しようとせず、勝手に自分と同じように考えていると決めつけての言動、もしくは自分の価値観の押しつけなど、アスぺの傾向を色濃く持っていた。

 両親がそうなのだから、当然、自分もアスペルガーに近いと思っていたのだが、他人の目に映る私の言動は、ADHDの疑いを抱かせる、というのが少し意外だった。

 

 が、よくよく考えてみると、私の子供の頃は、勝手に幼稚園や小学校を抜け出して遠くへ行ってしまったり、隣の教室へ紛れ込んだり、確かにADHDっぽかった。

 なにより高い所が好きで(今では全くそうでないが)、屋根に登るコツを近所の子に教えて、その家を出禁になったり、江の島で、入場禁止になっている洞窟にどうしても入りたくて、絶壁をよじ登ったら、「子供が危険な所にいる!」と、多数の観光客が大騒ぎになったり、ADHDの特徴がいっぱいあった。

(親も親だったが、私も親に怒られて当然のような行動は沢山していた)

 

 アスペルガーADHDでは真逆な特徴もいくつかあるのに、なぜだろうと思っていたら、偶然TVに、沖田×華さんという漫画家が出ていた。

 彼女は、アスペルガーADHDを合併している、という事で、そういうケースもあるのか、と思った。

 子供時代からいじめられ、努力してなった看護師の仕事もさっぱり上手くできず、怒られてばかりだったという話は、身につまされる思いだった。

 

 私も、仕事という仕事が全て適応できず、唯一続いたのがポスティングという家々のポストにチラシを入れていく仕事だけだった。

 指示の意味が理解できないし、電話受けができない、並行作業ができない、と、できないづくしである。

 だが、親はそんな筈はない、と信じなかった。

 子供の頃、暗記は苦手だったが数学は得意だった。(多くの発達障害の人は逆らしいが)

 作文や絵も得意だった。

 幼稚園を抜け出してしまう癖も、それで受診した病院で受けた知能テストの結果、「頭が良すぎるから退屈するのでしょう」と先生から言われたのだと母親は言っていた。

(これはかなり母の希望的な見方が入っているような気がするが)

 まぁ、とにかく得手不得手があるようだ。

 

 あらゆる仕事に全く適応できなくても、結婚したいとは夢にも思わなかった。

 一つには、性別に対する違和感が幼少時からあるので、結婚したら決定的に女性の性役割に押し込まれてしまう、という恐怖感。

 あとは、これがあるから性役割に抵抗があるわけだが、仮に性別違和がなかったとしても残るであろう私の特徴、家事全般が苦手という理由が大きい。

 一人暮らしだから、洗濯物の干し方がいい加減で、どんなにしわくちゃになっていても、毎日同じ食事でも、部屋の中が散らかり放題でも許されるのであって、これが家族分の家事をしなければならないとか、考えるだけでも地獄だった。

 あと、自分の部屋が無く、一人になれる時間が無い生活というのも地獄だと思っていた。

 まぁ、これには昨今のブラック企業に勤めていたとしたら、どのみち残業地獄で一人の時間はおろか、睡眠時間すら無いのだから、それよりは結婚の方がましなのだろうか。

 

 幸い、私はブラック企業に捕まった経験が無い。

 多少なりともブラックっぽい所は、まず面接が受からないし、受かったとしてもすぐクビになる。

 工場への派遣の仕事で、ブラックな世界を垣間見た事はあるが。

 

 こんな訳で、出来ない事は極端に出来ない私であるが、最近、ある発見をした。

 それは、アスぺの人は几帳面とか、ルーティンワークが好きとかいうが、好きというのとはちょっと違うのではないか、という事である。

 

 以前読んだネットの記事で、男脳と女脳の違いをこう説明していた。

 「女性の脳は、作業台が広い状態、男性の脳は、作業台が狭くて、引き出しがいっぱいある状態にたとえられます。」

 女性の脳は、右脳と左脳をつなぐ脳梁が太いので、並行作業が得意だというのである。

 

 対して、アスペルガーの特徴は並行作業が苦手。

 別のネットのカキコミで、「アスぺは男脳」「フェミの女性はアスぺの気がある人が多いのでは」(これはフェミニズムに悪意のある人が書いたのではなく、アスペルガー当事者が自分の体験に照らし合わせて推測して書いたらしい)というのを見かけたが、確かに、私は、そういう所から性別に対する違和感を膨らませて来たともいえる。

 

 で、通常男性よりもさらに並行作業が苦手な私は、作業の手順を極端に合理化し、ルーティンワークにしてやらないと、混乱して出来ないのだ。

 自分なりのルールを作って、それに従ってやらないと出来ない。

 

 アスぺの人は、真面目で几帳面で変化の無い生活が好き、一方でADHDの人は、決まりきった毎日が大嫌いで変化に富んだ冒険が好きというが、私の場合は、別に変化が無い事が好きな訳ではないが、自分のルール(手順や法則)に沿わないと、今何をしようとしていたんだか、訳が分からなくなってしまうのである。

 

 これは、アスペルガーの人全般がそうなのか、アスぺとADHDを合併している人のみがそうなのか、興味深いところだ。

少子化問題と子供を持つ事を希望しなかった私の事について

 市民運動系のデモや集会では「子供をまもれ!」と言うものが多い。

 今自分だけの問題ではなく、未来の事を憂いての発言なんだから、それは当然の表現でもある。

 子供のいない私は~たまたま子宝に恵まれなかったのではなく、絶対に結婚・出産というレールを忌避していた私は、自分がそのコールを復唱する資格があるのか、いつも複雑な気持ちになりながら唱える。

 

 だが、ニャートさんの「東大女子を過労死させたり、京大専業主婦をもったいなくさせているのは日本社会」というブログを読んで、今までモヤモヤしていた部分が、すごく腑に落ちた個所があった。

 それは「私のように地頭が悪い子どもは、膨大な時間を受験勉強に捧げることになる。だが、大学卒業後に企業から求められるものは、受験勉強とは全く違うものだ。」という個所だった。

 私も、彼女とはちょっと違うが似通った事情があり、一時期ガリ勉していた。

 だが、世の中の人間関係、仕事には全く適応できず、精神病を発病するまでは、ただただ辛い人生だった。

 結局、障害者になり、今の就労支援で働けるようになって、初めて音楽などの趣味に費やす時間もでき、文化的な生活といえる生活ができるようになった。

 今が人生で一番幸せだ。

 

 で、これは人によって意見が分かれる所だと思うが、両親とも生活保護障害年金でなんとか生きていける人が、新たに子供を持ちたい、と思う事には、私は常々懐疑的であった。

 自分たちがそうした保護や措置無しでは生きてゆけないのに、生まれた子供は当然自分たちの遺伝子を引き継ぐわけで、そうした子供達が、保護なしで生きて行けるのかどうか、不安にならない、というのが、きわめて無責任な感じがしてしまうのだ。

 

 私が子供を持ちたくなかった理由というのは、性別違和や、まず自分の自由が無くなるのが嫌だという、それだけでも十分な理由があったが、今までなんかモヤモヤしてはっきり語れなかった部分もあった。

 そう、それが、自分が障害者になって保護される人生の前は、ただただ社会に適応できずに辛いのみだった事に由来する。

 自分の遺伝子を引き継いだ子供が、この世の中に生まれてきて幸せになるはずがない、という予感である。

 

 自分自身が、死にたくても死ねないというだけで生きていて、人生に何の希望も見いだせなかった。

 これと同じ思いをしなくてはならない人間を、わざわざこの世に産み出す、というのが、きわめて残酷で無責任な事に思えるのだ。

 

 今、少子化が加速する中、恋愛も結婚も望まない、子供も作る気も無い若者が問題視されているが、彼らも、たぶん、私と同じように感じているのでは。

 

 単にデートしたりの出会いや、子作りの時間を持てるようにするために、というだけでなく、若者自身が生きていて楽しいと感じられるようになり、だから生まれてきて子供も楽しいだろうと思えるいう社会にするために、ブラック企業対策は、少子化対策とは切っても切れない気がする。

 

 そして、生きていて辛くない若者を増やすためには、仮に、発達障害があっても、セクシャルマイノリティーであっても生きやすい、多様性を認める社会にしていく事も肝なような気がする。

 

 バーニー・サンダースさんの本に、「彼ら(保守的な議員やキリスト教原理主義者など)にとっては、セクシャルマイノリティーは反家庭なのだ」という一文があったが、これも、私にとっては、自身が渦中にある、しかし、モヤモヤしてすっきりとした答えが出せない問題であった。

 

 私は、母親が日本会議のルーツになった人達と同じ「生長の家原理主義」(今の教祖の代の「生長の家」はずっとリベラルになっている)の考え方だった。

 

 私もやはり、「家庭」という概念に嫌悪感を抱いていた。

 家父長制、そして女の子だけがやらされる「家庭科」(年がバレる。笑)が大嫌いだった。

 

 セクシャルマイノリティーの皆が、単に同性婚が認められたら幸せになるか、には、当事者からも疑問の声が上がっている。

 「家庭」などと関係なく生きられる事こそが、セクマイに生まれて良かった事だ、と言い切る当事者もいる。

 予測であるが、そういう人は、たぶん皆、保守的な家庭観に自分を否定され傷つけられてきた人達だと思う。

 親がリベラルな考えの持ち主で、セクマイを肯定する環境で育った人は、割と「同性婚」が認められる社会を歓迎するのでは。

 

 そして、子供が生まれないカップルでも、不幸な子供を引き取って幸せにする事はできると思う。

 「チョコレート・ドーナツ」という映画は、このテーマを正面から扱っている。

 

 補足:私がこのような考えに至る前、ひたすら結婚や出産というコースを嫌悪・忌避していた頃の心境~そしてそのあまりに精神病になった~をつづったのが拙著「狂気」です。

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宇多田ヒカルさんが出ていたTVを観て思った事

 ふだん、ほとんど洋楽しか聴いてない私が、なんとなくつけていたTVで宇多田ヒカルさんが出ていて、そのまま聴いていた。

 

 で、ずっとこの人はすごいと思っていたのだが、さらに別の意味でもすごいと思わされた。

 

 以前からそう思っていたのは、作詞作曲の才能である。

とかくリズムに乗りにくいと言われている日本語の歌詞を、彼女はとてもリズミカルなメロディーに乗せてしまう。

 そういう意味では、サザンもすごいのかもしれないけど、私個人は、桑田さんの歌詞の、女性をあくまでも自分とは異質な者としてとらえているような、なんというか、脂ギッシュな男目線みたいなのがバリバリ伝わって来る所が苦手である。

 それに比べると、宇多田さんの歌詞は、「あなたと私」ではなく「私とキミ」だったり、印象が良かった。

 そして、デビューしたのが10代であったのにも関わらず、自己中心的な感情の赴くままに突っ走る恋愛ではなく、自立した大人同士の恋愛特有の緊張感みたいなのが常にある所が不思議でもあった。

 その不思議さと相まって、私は素直に、彼女は天才だと思っていた。

 

 で、今回別の意味ですごいと思ったのは、彼女の母親に対する感情だ。

 以下、録画していた訳ではなく、私が覚えている事だけを伝え書きしているので正確ではないが、

「人間の基本的な人格が形づくられるのって、2~3歳位までじゃないですか。でも、普通はその頃の事って覚えてないんですよね。空白の2~3年間。そして、それが空白であるから、全ての悩みとか苦しみがそこから出て来る。私が親になって変わったのは、その空白がわかった事。自分の子供を見ていて、あの時母親は、今の私と同じ感情だったんだ、自分の子供の頃って、ああこんなだったんだっていうのがわかって。そこで、親に対する感謝とか出てきました。」

 

 何がすごいって、悩みや苦しみしか無い所から、「感謝」が出て来るのがすごいと思った。

 

 宇多田ヒカルさんの母親の藤圭子さんといえば(以下、ネットでの噂や世間の評判からの記述です。藤さんのファンの方からは反論があると思いますが)、再婚相手との生活の邪魔になるから、娘を海外に住まわせ、売れたら今度はとたんに親面し、あげくには自殺してしまうという、親としては最悪の事しかしてこなかった人だ。

 そして彼女も統合失調症を患っていたという。

 

 自分が子供を持つという事。自分の子供に対するまなざしが、かつての子供であった自分への親のまなざしのように感じられる。

 

 これは、子供を持たない私も、たぶんそうであろうと常に予想していた事である。

 

 だからこそ、これはもう、私にとってはすごい恐ろしい事だった。

「もう嫌だ、死にたい」「こいつが死んでくれたらいいのに」

ありとあらゆるネガティブな感情が詰まったパンドラの箱のようなものに感じられた。

 

宇多田さんの場合は、自分でも意外なポジティブな感情が出て来た、という事なのだろう。

彼女には離婚しても困るどころか、十分な稼ぎがあり、それが心の余裕にもつながったとも考えられるが、それにしてもすごい事だと思った。

 

パンドラの箱からは、ありとあらゆる災いが飛び出したが、最後に「希望が残った」。

このエピソードを連想したのは、彼女の「感謝」という一言だった。

 

私は、子供を持たないまま、子宮体癌になって子宮・卵巣を全摘出した。

パンドラの箱は、最後まで開けられなかった。

 

虐待は連鎖するとも言われているが、子供を虐待してしまう母親のケースで一番多いのは、本当にひどい身体的虐待を受けていたり、宇多田さんのように母親から拒絶されていたようなケースよりもむしろ、私のように過干渉な母の元で育ったケースだと読んだ事もある。

 

だから、私は開けなくて正解だったのかもしれない。

 

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ご無沙汰していてすみません。

色々とバタバタしていました。

母と友人に立て続けに腫瘍が見つかり、心配事もあったのですが、先ほどわかったのが、12cmもある友人の大腸の腫瘍は陰性だったという事です。

なんか、すごく嬉しい。

後は、母の膵臓の腫瘍ですが、来週結果がわかります。

 

で、今朝の事なのですが、起きたら、なんとも言えない終末感があって。

たぶん気候のせいだと思うのですが(朝起きても暗い&低気圧)、なにかすごく悪い事があった後のような感じ、世界が終ってしまった、自分はもう死ぬ、というような感じにつきまとわれていました。

これは統合失調症にはよくある世界没落感というものらしいのですが。

たぶん、鬱の人の鬱状態とはまたちょっと違う落ち方だと思います。

 

私のは、そんなに重症ではないので、作業所に行って、作業をしていれば気がまぎれる程度なのですが。

 

それでも、作業所でBGMで沖縄民謡が流れると、国の翁長知事と沖縄県民に対するひどい判決の事が頭から離れず、沖縄の全面積の割合からしても相当な巨大な基地が作られる事が、悲しくてしょうがなくなってきました。

 

まぁ、沖縄の判決の事と、友人と母に腫瘍が見つかった事などが重なり、理由の無い落ち方ではないのですが。

 

作業中はなんとか気がまぎれていても、帰るとまたどよ~んとした終末感が襲って来そうで、ここはなんとか気分を上げよう、と帰りは「揚州商人」というラーメン屋に寄って、大好きな酸辣湯麺の刀切麺を食べました。

写真が無くてすみません。

 

いやはや、こうして、何かというと、喰いに逃げるから、なかなか脱デブできないのだな。

 

帰ると、やっぱり変な終末感に襲われ、以前通っていたB型作業所の知り合いに、「最近どうですか?」みたいなメールしたり。

でも、自分がこういう状態だとは言えず。

だって、送った人達の方が、鬱と交通事故の後遺症とか、重い薬の副作用とか併発していたりで、私より大変なのだもの。

今通っているA型でちょっと仲良くなった人も、母親から精神的虐待みたいにひどい言葉の暴力を受けていて、それでも同居せざるを得なくて、私みたいに気楽な一人暮らしが泣き言を言える立場ではない。

 

でも、命の電話とかに電話するほど大変な状況ではなく。

たぶん、電話してもなかなかつながらないだろうし。

いや、命の電話は、死にたい人がかけるもので、別に死にたいのではないけれど、死ぬような気がする、世界が終るような気がする時に掛けるものではないのだと思う。

 

ほんの5分でも主治医の先生とか、計画相談員の人とかの声を聞きたい気がするが、夜には、それもできないし。

 

とりあえず、友人にメールしたら、「今日病院へ行って、腫瘍が陰性だったよ」と返ってきました。

なんか、本当にうれしかった。

縁起担ぎついでに、母にも電話してみました。

明日も検査なのですが、タクシーで行くので付き添いはしなくていいとの事。

来週の月曜日は、母の結果がわかるが、その日は私も付き添いで病院へ行きます。

 

色々と確執のあった母だけれど、無事であるといいと思う。

津久井の虐殺事件について思う事

前の日記から一か月近くも間が開いてしまった。

 前回、前々回と都知事選の事を書いていたが、今回は津久井の虐殺事件について、気になっていた事を書いてみようと思った。

 

 自分的に印象が強烈だった事の一つに、犯人の入れ墨の絵柄があった。

 障害者へのヘイト、そして犯人自身も精神障碍者である事は、多くの報道が取り上げているが、個人的にあの入れ墨の絵柄が、頭から離れない。

 私は、タトゥーいいんじゃない派なので、入れ墨をしているからダメ的な見方はしないのであるが、あの異様な柄~おかめとひょっこ、そしてひょっとこの面がパカッと割れ、中から般若が出て来る絵柄は、多くの入れ墨をした人達を載せている雑誌とかを時々買っていても、今まで見た事がない。

 

 普通にやくざやヤンキーをしている人達は、そのまんま強そうな柄を入れるものだが、あの、ひょっとこの面がパカッと割れる図案は、一体誰が考えたのだろう?

 もしかしたら、私が知らないだけで、昔からある有名な絵柄なのかもしれないが、まず珍しい。

 私が思うに、本人が考案してそういう絵柄を入れてもらったのではないかと。

 

 昔の知人は一様に、「人当たりが良く、明るい性格」と言っていたが、本人にとって、それはずっと演技している仮の人格で、本当の自分はそうじゃない、という思いがずっとあった事をあの入れ墨で表明したのではないか、という気がしている。

 

 本音の自分を出せない、というのは、子供時代の自分にも心当たりがあった事なので、なんか気になるのだろう。

 

 とはいえ、私の場合は一見「地味で大人しそうで根暗」「でもパンクやヘヴィメタルが好き」という、久保キリコの漫画のツン太君やツグム君のようなキャラだったので、ある意味もっと分かりやすいキャラだった。

 大人になってからは、そのギャップをそのまんま出していたので、それで救われていたようなものだ。

 

 あの犯人は、私とは違って、明るく、誰とでも打ち解ける一面を持っていた。

 私のような人付き合いが不器用な者から見れば、そんな切り札を一枚持っている位なら、世渡りはもっと楽だろう、と思いがちだが、彼は彼で、たぶん怒りを隠し、おどけた役を演じながら、演技せざるを得ない自分に相当のいらだちと屈辱を感じていたのではないか。

 

 なぜ演技せざるを得ないのか?

 それは、自分が牙や爪を出したら自分より絶対的に強い存在に叩かれる、牙や爪は常に隠さなければならない、というのが根底にあるからである。

 

 子供の頃の私にとって、それは親であったり、いじめっ子等の存在であったり、親が教え込んだ価値観上での世間というもの(それは実際の世間の大人たちではなかった)だった。

 

 あの犯人にも、そうした存在があったのだろうと思う。

 そして、マグマのように地下に流れる怒りの噴出の矛先は、そうした逆らえない存在に対してでなく、一番弱い存在に向かった。

 

 世間をゾッとさせたのは、単なる場当たり的な弱い者いじめではなく、より強い者に媚びるという、自己の怒りを抑圧していた時と同じ精神構造のまま、怒りを解放し、それを正当化する手段を得た、というグロテスクさであろう。

 

 彼を抑圧していた何者かは、ヒットラーや時の政府に姿を変え、それらに媚びる形で牙や爪を出せる理由を見つけたのだ。

ヒットラーの思想が降りてきた」というのは、本当に文字通り降りてきたのであろう。

 

 これから、精神鑑定が始まると思うが、たぶん彼は、正義は力のみであり、弱さは悪である、という考えを幼少の頃から持っていたと思う。

 そして人生のどこかで、そうした強烈な刷り込みがあったのではないか。