狂人作家         黒田幻の日記

    心理学・精神分析に興味を持っていた社会不適応者。ついに自分自身が精神病になる。    幻覚・幻聴実体験記「狂気」絶賛発売中!

近況

 近所のお年寄りの買い物代行などをしている事は、以前のブログで書いた。

 買い物は、着替えなどの介助と比べれば楽であるが、でも、毎日、毎食のパンと弁当を買って来るのは、それなりに大変だった。

 まぁ、食事を作るとかより楽だけど。

 

 で、今週の事であるが、ケアマネージャーさん(ヘルパーさんを取り仕切っている人)から、

「この状態でいると、あなたが、遺産目当てで○○さんに近づいていると近所の人から思われる」

と言われた。

で、電話で話し込んだ結果、買い物などはヘルパーさんに頼む、毎日ではなく、週2位顔を出す程度にする、長居はしない、という話になった。

 だが、翌日ヘルパーさんに話すと

「急に買い物一切から手を引かれるのは困る。ヘルパー同士の調整も必要で、その体制が整うまで、あと一週間位はやってくれないか」

という話だった。

 この板挟みみたいな状態もそうだったが、何より「遺産目当て」という言葉が出て来たのが、かなり不快だった。

 

 私は、元々、どこか冷たい所があるというか、人間として何かが欠如しているという自覚があるから、意図的に人に親切であろうと心がけていた。

 それは、宇都宮健児さんを知ってから、

「人間、この人のような心がけで生きるべきだなぁ」

と、感動した、という、しごく単純な動機なのであったが、そのように、親切のつもりでやっている事が、「遺産目当て」と思われる、というのは、とても心外だった。

 

 「十人いたら九人はそう(遺産目当てだと)思うわよ」

ケアマネージャーさんが、どういうつもりでそれを言ったのかも、色んな可能性が考えられて釈然としなかった。

・世間とはそういうものであると客観的に伝えただけ。私が近所から怪しまれるのを事前に防いであげるつもりだった。

・単に意地悪で嫌がらせを言っただけ。

・私が本当に遺産を狙っていると思っている。お年寄りを守るために、私を引きはがそうとして、確信を突いた。

などなど、考え出すときりがなかった。

 

それで、今日、精神科の通院だったので、その事を先生に話したら、

「ヘルパーさんの方が現場を知っているから、急に買い出しを止められたら困る、というのは切実だと思う。ケアマネさんの言い方はちょっと悪意があるね」

と、言ったので、

「じゃあ、ヘルパーさんの言う通りにして、ケアマネさんの言葉は聞き流せば良いのかな」

と、思いつつ、クリニックを出て、薬局に寄り、遅れて作業所に向かったのであるが、作業中、またケアマネさんの言葉の真意は何か、普通の人は、本当に十人中九人は遺産目当てと思うのだろうかと、気になってしょうがなくなったので、昼休み、職員さんの一人に相談してみた。

 

 そうしたら、その反応は意外な事に

「噂だけで済めばいいけど、あなたの、お金を預かって買い物をするっていう今の状況は、もし、そのお年寄りに何かあった時、親戚から、横領とか疑われても身を守れない立場ですよ」と、言われた。

 結局、副代表の人とも相談することになり、お金を預かるような手伝いは一切しない方が良い、という話になった。

 今まで、レシートを見せても、そのご老人は、

「私は、金に細かい事は言わないから、とぽいっとすぐゴミ箱に捨てていた。

 私に預けている分のお金が少なくなる頃、というか、その前辺りから、

「そろそろ足りなくなるんじゃない?」

と言って、5千円とか1万円を渡していた。

 副代表は、

「あなたが正当に使っていても、それを証明する証拠が一切無いのはまずい」

と言い、あと1週間かもしれなくても、これからはレシートは取って置くように、と念を押した。

 そして、今後はお金を預かる手伝いからは一切引かしてもらうべきだと。

 

 作業所が終わって、携帯をみると、メインで入っているヘルパーさんから不在着信が入っていた。

 家に帰ると、ヘルパーさんが来る予定の時刻に合わせて、ご老人を訪ねた。

 その日来るのが、メインの人だったら話がしたかった。

 そのご老人本人に、何かあったら、という言い方はしなかったが、

「レシートは取って置けと、相談した目上の人に言われたので、これからはノート(ヘルパーさん同士のやり取りと私も時々書き込むノート)に貼っておきます」

と説明していたら、チャイムが鳴った。

メインで入っているヘルパーさんだった。

 数日前までは、一週間位は買い出しを続けて欲しい、と言っていたのに、なぜか今日は、

「来週の月曜から買い物の事は一切こちらでやります」

と、いう事だった。

 ただ、その言い方はそっけなくではなく、私に対する礼儀というか、気配りとかがとても感じられる言い方だった。

 

 こうして、毎日の買い物からは、やっと解放されることになった。

 ヘルパーさんは、今まで私がやって来た事を急に取り上げられるのは心外ではないかと心配しているようであったが、そういうのは一切ない。

 ただ、そのお年寄りが、今までは週のうちのかなりの日数、一緒に夜お弁当を食べていたのが、急に週1日とかになったらさびしいんじゃないか、というのが気がかりだった。

 

 しかし、実の処、毎日は私も疲れて来ていたので、週1、2回とか訪問すればいいだけになるのは楽だった。

 気がかりなのは、今までなんとなく、引き留められるがままに、毎夕食を共にする、という習慣を作ってしまったのは、まずかったかも、という後悔だ。

 

 ご老人は、今の所、デイケアとか行きたくないと言っているらしい。

 だと、顔を合わせるのはヘルパーさんと私だけになってしまう。

 そのうち、デイケアにも通って友人ができたり、車椅子にも抵抗が無くなって、以前馴染みだった店にも顔を出せたり、できるようになればいいなと思う。

ネットで見かけた一説

 音楽の好みと性格の話では、クラッシック好きとへヴィ・メタル好きが意外な事に性格がよく似ている、という話などが有名であるが、もう一つ、メロウな音楽を好む人は情緒型、パンクやへヴィ・メタルのような激しい音楽を好む人は論理・分析型、というのを読んだ事がある。

 

 私は昔から、パンク、へヴィ・メタルと一部のEDMはわかるのだが、自分を音楽好きと称していても、どうにもわからないものというのが沢山あって困っていた。

 わかる・わからないは単に知識ではなく、良さを堪能できるかどうか、という意味である。

 

 この分類でいくと、私は論理・分析型ならしいのだが、本人の生活・人生が無駄が無く合理的であるかは大いに疑問だが(w)、確かに、大雑把に言って二つに大別できる人間の傾向みたいなのはあるように感じる。

(もちろん、両方の特徴にまたがった音楽もあるし、すべての人がきっぱり二つに分かれるわけでもないが)

 

 それはコミュニケーションの様式などに顕著に表れる。

 私は、たぶん情緒型の人との雑談では、どこで相槌を打ち、どこで目を合わせ、どこで笑顔を作るかなどで、相手に変な顔をされたり、なにかと齟齬が生じやすい。

 特に、見た目が童顔で大人しそうなので、情緒型タイプの人から、この人もきっと同じタイプだと誤解されて話しかけられた場合が、そういう状況に陥りやすい気がする。

 

 で、そういう点で楽な相手というのは、パンクやへヴィ・メタルが好きかどうかは置いておいて、確かに、論理・分析型という言い方が当てはまっているようなタイプが多いのだ。

 

 で、音楽の趣味が近くて知り合った人というのは、単に話題があるから比較的コミュニケーションが取りやすいというのもあるが、基本こちらの性格傾向に対しても誤解が無いから、楽なのかもしれない、と思った。

 

 あと、付け加えておくと、ここで大別されている論理・分析型タイプというのは、確かにドライで冷淡な人もいるかもしれないが、人に親切であろうと心がけている人だっているし、情緒型に分類されるタイプが必ずしもみんな優しいかというと、ネチネチ意地悪な人も中にはいると思う。

Aセクシャルとエロい人

 Aセクシャルというのは、人生ずっと性欲が無かった人の事を言うのであって、自分みたいに途中から興味が無くなった、という人に対しては言わないらしい。

 

 なぜ途中からなのかは、一つには子宮体癌という病気になって、子宮・卵巣を摘出して、自分の体内で作られる女性ホルモンが無くなり、かつ、昔、男性ホルモンを摂取していた時期もあったが、その頃にはすっかり止めていたので、男性ホルモンも女性ホルモンも今は体内に無い状態であるからだ。

 もう一つは、体重が増加したので、もう誰にも自分の裸は見せたくないので、そういう事をやる気が起きないから。

 

 性欲が無くなってみて分かったのは、性欲に振り回されずに済む、という利点もあるが、欠点といえば、コミュニケーションツールの一つが無くなった訳である。

 

元々、私は酒が飲めないので、それだけでも他人よりコミュニケーションツールが一つ足りない状態だった訳だが、さらにまた減ってしまったのである。

 

 たまに、エロい出会いのネタでブログを書いている人もいるが、確かに本人にとっても、退屈はしないだろうな、と思う。

 

 話がちょっと飛ぶが、昔、まだ10代の頃、「君は子供顔からおばさん顔に直接なるタイプだね」と言われて、その事が気に入らなくて、延々その相手に文句を言い続けた事があった。

 図星だった事もあるが、それは単に顔の造形のみならず、私の子供の頃からの特殊なコンプレックスというのが積りに積もっていたからだった。

地味顔の自分、星占いでも安定していて冒険はしないタイプと言われ、親からは派手な事につながりそうな習い事は一切させてもらえず、という自分の望まない自己像しか手に入らない人生を如実に言い当てられた気がしたからである。

 

そう、子供の頃の私はスリルが欲しかったのである。

ひたすらそれを、悲しい位に切望していた。

 

だが、常に実年齢よりも下に見える私の若き日は、全くスリルなど手に入らなかった。

スリルを求めて出会ったはずなのに、出会う相手はことごとく束縛、過干渉というタイプになった。

 

 私は20歳の頃、小学生に間違えられたりしていた。

 だが、ようやっと40歳の時に、20歳に間違えられるようになった。

 私は、いよいよおばさん顔になる寸前の所で、SMバー、ハプニングバーなどで働いてみたりした。

 まぁ、それなりに面白かった。

 わかったのは、自分はSでもMでもない、という事だった。

 

 で、すでにおばさん顔になってしまった自分が振り返って思うには、馬鹿げているかもしれないけれど、後悔はしていないのだった。

 

 今はそんなこんなでエロはもう飽きたが、おばさん顔になって体重も増える前に飽きる事が出来て、本当にラッキーだったと思う。でなければ悲惨だ。

 

 ところで、出会いを人生の主要な娯楽にしている人達は、もし、ある時突然性欲が無くなったらどうするのだろう、と思ったりする。

 

 たぶん、別の楽しみを見つけるのだろうけど。

 

 今の私だったら、たぶんもう「子供顔からおばさん顔に直接なったタイプ」と言われても、怒らないだろう。

朝起きた時

 「友達の家に泊まった時とか、朝起きた時にどこにいるのか分からなくてアセる事あるよね」と仕事場の人達が話していた。

 

 そういえば、私は、朝起きたての時、軽い記憶喪失みたいになる事があって、それは本当に0.何秒位の短い間なのであるが、今がいつだかわからない、すごい時は自分が今何歳で、この世界の中でどういう存在なのか(つまり、ここはどこ?私は誰?状態)わからなくなる、というのが度々あった。

 

 でも、アセらない事が多い。

 どちらかというと、夢の中で、今がいつで自分が何者なのか関係なくただ存在している、という状態の方が居心地が良くて、目が覚めて記憶が戻ってくるまでの0.何秒間かの間、ああ、また窮屈な状態に連れ戻されるんだ、という感じが、深い悲しみと共にやって来るのだ。

 

 最近は、ゆるい職場にいられるせいか、自分の存在にそんなに悲壮的にならずに済むので、あまりそういう状態にはなってないが。

 

 こういう事を言うと逃げだと言われるのかもしれないが、自分というものを取り巻く属性~ルックスだとか年齢、性別だとかは、基本、自分の内面とは関係なく自分を縛るものでしかないと感じている。

 

 私は、死ぬとき苦しい死に方は嫌だなという恐れはかなり持っているが、死ぬ事そのものに対してはあまり恐れがないのは、夢の中でそういう、属性から自由になって、ただ存在して色んな出来事を全て俯瞰し、感じている、という状態を味わった事が、幾度もあるからだと思う。

 

 ただ、本当の死というものが、そういう状態であるという保証はどこにもなく、そういう夢が見れるのも生きている証拠で、死んだら意識も何も無くなるのかもしれないが、それでも漠然と、そういう時の夢心地の状態が死なんじゃないかと、根拠もなく思っていたりする。

 

 そして、もし、私が、自分のルックスも人生も望み通りだったら、果たしてそういう夢を見るのかどうかも、興味深い所でもある。

近況

 近所のお年寄りの介護、おむつとか衣服の着せ替え、洗濯は完全にヘルパーさんがやってくれる事になり、すごく楽。

 私の役目は、お弁当と、その都度必要な生活用品を買ってくるだけになった。

 で、つくづくヘルパーさんのお仕事は大変だなと思う。

 全体的に介護職が賃上げされれば良いと思う。

 

 お弁当を買ってきて、TVを見ながら一緒に食べるのが日課になっている。

 で、そのお年寄りは、感情労働的には、全くしんどい所の無い人である。

 延々愚痴を言うとか、上から目線の説教をするとか、そういう事のない方だ。

 自分の母親のように、ニュースとか見ると必ず意見が反対なので、一緒にいると妙な緊張感がある、というのもない。

 だから、極めて楽なはずなのだが、基本、私は一人でいるのに慣れているせいか、毎日というのが、ちょっと疲れてもきている。

 これが、週2~3日のペースだったら楽なのにな。

 

 介護認定が今日降りたので、これからは宅配弁当も割引で頼める。

 しかし、その方はいわゆるお年寄り向けの宅配弁当、味付けも薄くて野菜が多くあっさりしたのがあまり好みではないらしい。

 しかし、毎食スーパーの弁当とパン(これもあっさりしたパンを買って来るといつまでも食べず、菓子パンや総菜パンなどが好み)では、身体に良くないので、朝はパン、昼は宅配弁当、夜はスーパーの弁当にしたらどうかと、以前から私が提案していた。

 好みでないのに、昼も夜もだとさすがに可哀そうだ。

 買って来る弁当が夜の分だけなら、2、3個買って来れば週2、3回顔を出せば足りる。

 その方は、毎日家にいてTVを見るしかないので、私が来ると「もうちょっと見てったら」と引き留めようとする。

 ヘルパーさんは忙しいので引き留められない、というのはわかっているようだ。

 

 この状況で、私が来る日が減ったら、きっとさびしいんだろうな、と思う。

 まだ今より歩ける状況だった頃(転んでから数センチづつしか歩けなくなったらしい)、行きつけのファミレス(おじいちゃん仲間がたむろする)があったり、スーパーのレジの人とも仲良しだったり、顔見知りのマスターのいるコーヒー屋に行ってたりしたそうだが、今は家から出なくなってそういう交流が無い。

 車椅子に抵抗の無い方だったら、コーヒー屋位は顔を見せに行けるのだが、どうしても近所の人に車椅子姿を見られるのは嫌だと言う。

 まぁ、これからデイケアとか通えるようになって、顔見知りの人が出来たらいいのかもしれない。

占い

 信じてないのに、つい暇な時に見てしまう、星占いとか血液型占い。

 無料のしか見ないけど。

 

 当たりそうで当らない所がなんとも言えない。

 血液型はO型なのだが、マイペースは非常に当っているが、性格から血液を当ててみましょうとかでは、B型>A型>AB型(?)>O型みたいな感じになる。

 

 星座は牡牛になるのだが、子供の頃図工が得意科目で、今音楽に関する事をやっている辺り当たりそうな予感がするのだが、味覚も発達していて~はかなり怪しい。

 グルメ。食い意地が張っているという点は確かに当っている。

 しかし、それゆえに、食えさえすれば何でも美味しいと思うタイプのようで、私はどんな料理でも、不味いと思った事がないのだ。

 それ故か、今まで手料理を振る舞った友人と言うのは、ことごとく、一口食べて、一瞬妙な顔をし、我慢大会のように無言で最後まで食べ続けるか、話に夢中になっている振りをしてほとんど残して帰るか、そのどちらかのパターンである。

 

 そして、一番当らないのが恋愛。

 一途で束縛が激しいというが、束縛するのもされるのも嫌い。

 基本、皆がOKなら、乱婚制でいいと思っている。

 それでいて、恋人がいないならいないで、何年いなくても一向に構わない。

 束縛してくる恋人だったらいない方が良い。

 

 考えが保守的だというのもねぇ。

 今回は政治の事は言わないでおこう。

(というのは、私は安倍政権は保守とは思わないので、保守≒自民党という前提では、話がややこしくなるから)

 単純に、生き方、恋愛観とかで考えると、保守的な意見というのと大抵合わない。

 

 ちなみに、シド・ヴィシャスは牡牛座である。

 やっぱ当んないよねぇ。

 自分がシドに似てるとも思わないが…。

 

 20代の頃。

 かの有名な壺を売りつける宗教の勧誘に合った事がある。

 「無料で手相を見てあげましょう」←ちなみに、これがこんなに有名になって、何十年たった今も、同じ手を使っているのだ。

ちなみに、最初の手相では良い事ばかりを言う。

そして、「私達は、色んな占いを研究しているサークルです。良かったら、他の占いもやっているので、遊びにきませんか?」

その言葉に興味本位でついて行ったら、変な事をどんどん言われて、壺とか印鑑とか、色んなカタログを出してきて、しまいには「浄財」の説明をされた。

 「仏に帰依すると言うのは、心も体も財産も、すべて投げ打って仏に仕える事です。浄財と言うのは、お金だけと思われるかもしれませんが、お金というのは、あなたの心や体を使って稼いだもの、だから、財産を寄付するというのは、仏に帰依するのと同じ効用があるのです」

 その人が言ってきた変な事というのは、縁遠いとか子宝に恵まれず、このままでは家系が途絶えるとか、私にとってはどうでもいい事ばかりだった。

 だから、「まぁ、信じてないけど暇つぶしで来ただけですから」と正直に言うと

「あなたは、そのままでは地獄に落ちますよ!」と怒り狂った。

 こんな詐欺師みたいな人達ばっかいるのが天国なんだったら、地獄行った方がましだわwと思い、笑って帰った。

 

 全ての占い師をディスるつもりはないが、そもそも、恋愛とか、異性愛前提しかなかったりするのが、やっぱ当らないよなぁ、と思ってしまう。

介護、認知症に関して思う事②

 ここ数日のアクセス数の多さに驚いている。

 前回の日記は、だらだらと書いていて、特に面白いという訳でもないと思うが、やはり介護というテーマには、関心のある方がそれだけ多いという事だろう。

 

 で、前回の続きであるが、結果から言うと、そのご老人は通院の日までにお風呂に入れなかった。

 デイケアは、まだ介護認定が下りていないし、自宅のお風呂は風呂釜が高く、その方一人で入るのは危険だったが、相談センターの方々が待機しつつ、まずはその方一人で入ってもらい、何かあったらすぐケアできるように待っている、という事になった。

 他人しかも異性に入浴介助をされるのは恥ずかしいのか、その方はなんかかんか言い訳をして、お風呂に入りたがらなかったからだ。

 

 通院の前日、私が仕事場から休み時間に電話すると、延々

「入ってください」

「いや、まだ先でいいよ」

と、やりとりしていたらしい。

「今日入らなければタクシーが使えません。介護タクシーでさえそうなんだから、一般のタクシーなんて乗車拒否されてしまいます。」と、私が泣き事のように言うと、専門員の方は

「わかりました。もう一度説得してみます」

と、言ってくれた。

 

 ところが、やっと説得できて、いざお湯を沸かそうとすると、風呂釜が壊れていて、ごくぬるいお湯にしかならなかったそうだ。

 で、この冬場にこれでは風邪を引いてしまうという事で、足だけ洗ってもらったそうだ。

 故障している風呂釜。つまり、よほど暑い時期以外は、何カ月も風呂に入っていなかった、という事になる。

 

 私はいよいよ7時に一緒に出て、4時間かけて同行しなくてはならないかも、と半ば覚悟を決めた。

 この日は、私は休みを取って付き添う事になった。

 

 今まで一人で行ってたんだし…とも思うが、あの歩きを見たら、とても4時間の道のりを一人で歩かせるなんてできない。

 

 その日の帰り、格安店で靴とトレパンを買い、薬局で専門員さんが言っていたおむつを買った。

 

 帰りにセンターに電話すると、当日の朝、専門員さんが着替えは手伝ってくれる事になった。

 彼女は他の仕事が入っていて同行はできないが、病院に着いたら、センターの職員さん二人が私達と落ち合って、お医者さんに、介護認定の同意書を書いて欲しいと頼んでくれるそうだ。

 いやぁ、どんなに心強かったか。

 着替えを私一人でやらなければならない(特におむつ)とか、お医者さんに同意書を頼むのも、説明下手な私が言って伝わるのか、とても不安だったからだ。

 

 当日の朝行くと、もうその方は自分で下着も替え、出かける用の服を着て待っていた。

(あれ、着替えられるの?じゃぁ、あの何カ月も着替えてないようなズボン下はなんだったのか?)

 

 ともあれ、一見この井手達ならタクシーも問題なく乗れるかも、と思えたが

「申し訳ないですが、もう一度脱いでおむつをつけて下さい」と専門員さんが言った。

 その方は、やはりおむつには抵抗があるのか、言い方は穏やかながら、なんかかんか言って断ろうとした。

「もし座席を汚してしまったら、大変な額を請求されてしまいます」

なんとか説得した。

 

 私は、その方が

「だったらタクシーに乗らずに歩いて行く」と言い出さないかヒヤヒヤした。

 

一見小奇麗な格好をしていたが、やはりジーンズが匂ったので、買ってきたトレパンに着替えてもらった。ズボン下も替えた。

「あそこの病院では、トレパンで来る人なんかいないんで」

その方は言ったが、匂うジーンズよりはトレパンの方がマシである。

 その方なりに身なりに気を使っているのだが、自分が尿を漏らしている自覚が無いのか、濡れていたり、匂いには無頓着だったりするのが不思議といえば不思議であった。

 

 専門員さんは、汚れた服をまとめて洗濯機に入れ、湯沸かし器からやかんとたらいに交互にお湯を入れ、洗濯機に注いでいった。

 

 今回は一般のタクシーを呼んだ。

 運転手は始終無愛想だった。

 何よりもヒーターをつけてくれない。

 私は暑がりだからいいのだが、お年寄りには寒いんじゃないかと気がかりだった。

 しかし、ヒーターをつけてくれと言えなかったのだ。

 服は着替えたものの、お風呂に入っていないので、やはり匂うのかもしれない。

 むやみにヒーターを、と言って、「つけると匂いが充満するので」とか言って揉めたり、最悪降ろされたりしたら…と思うと強気に出れなかった。

 

 病院に着くと、職員さん二人を探した。

 お年寄りは、いつもより血圧の数値が高いと言って何度も測り直していた。

 後で知ったのだが、寒い所にいると血圧が上がるのだそうだ。

 

 職員さんがお医者さんに話してくれ、同意書はすんなり書いてくれる事になった。

 帰りのタクシーは病院の敷地で拾え、運転手さんもいい人だった。

 

 その後、その方は最初はおむつを嫌がっていたが、徐々に家でもつけていてくれるようになった。

 

 私も、最初汚れたズボン下を見た時、また、病院から帰って二日後には再びトレパンがビシャビシャになっているのを見た時にはドン引きしたが、今ではおむつの替えを手伝うようにまでなった。

 

 嫌がるのをおむつをつけるように説得し、足が悪くて着替えもしんどいのに、無理を言って着替えさせる、これには、自分のやっている事はいらんおせっかいなのかなぁと思う事もあった。

 

 もとより、ごく幼い幼児とボケてしまったお年寄りは、排せつ物への抵抗感が少ない。

 排せつ物とは同居できないある一定から一定の年齢の大多数とは、世界観が違うのだと思う。

 同居している幼児や老人が家の中で排せつ物を垂れ流していたら、困るのは同居人だからおむつというものもある訳だが、私は同居人ではないし、家の中をどう汚そうと、その方の勝手と言えば勝手である。

 

 しかし、大多数の人間の汚れと匂いに対する嫌悪感を思うと、やはり皆で清潔にさせるしかないのかな、とも思う。

 

 最近わかったのだが、今まで、その方は部分的にボケていて(話はしっかりしていて、とても認知症とは思えないのだが)おもらしをしている自覚が無いんじゃないか、と思っていたが、ここ数日はおむつが濡れていないのにズボンがびっしょりの事も多く、どうやらちゃんとトイレでしているが、足が悪くまっすぐ立てないので中腰のまま用を足す、それでズボンにかかってしまうらしい。

 いや、座っていた場所がぐっしょり濡れていた事もあるので、やはり失禁もあると思う。

 

 それまでは一日おき、年が明けてからは毎日顔を出しているが、もう毎日着替えさせて、前の洗濯物が乾いたらすぐまた洗濯しないと、という状態である。

 

 自分の部屋さえろくに片付けられない私が、よくここまで他人の面倒が見れたな、と思うが、これもひとえに、その方の性格がとても良いからだと思う。

 

 病院の中でも、車椅子を娘か嫁さんに押してもらっているのに、あごでこき使うみたいな物言いをする人を見かけたが、私はあんなのはとても無理だと思う。

 

 ましてや、同居していないから、時々除菌スプレーでシュッシュするだけだけど、自分も生活する部屋で、始終絨毯がおしっこでびっちょりになっていたら、本当に泣きが入るだろう。

 

 それに、私は弁当を買ってくるだけだが、料理もしなければならない、とかだったら…。

 

 介護は嫁の仕事、と言い切るような政治家を居すわらせてはならないと思う。

 子育て・介護は社会全体の仕事、と考えてくれる政治家に一票を投じたいものだ。