狂人作家         黒田幻の日記

    心理学・精神分析に興味を持っていた社会不適応者。ついに自分自身が精神病になる。    幻覚・幻聴実体験記「狂気」絶賛発売中!

幻想の向こう側へ行きたい② (身体改造者が目指すものと周囲との意識のずれ)

 一応、①、②と番号がついているのだが、このシリーズに関しては、まだ系統立てて書けるほど、頭の中で整理されていない。

 そのうち、そうやって体系的に書いたら、けっこう面白いものになるんじゃないかという気がするが、今のところは、まだ思いつきのメモ書きの段階だ。

 

 http://blog.livedoor.jp/sinobinet/archives/10730435.html

 

 そうそうたる人達が並ぶが、私が最も気になったのが、トラの身体改造のデニス・アヴナー氏。

 この方は、日本のTVにも出た事がある。

 元は、コンピューター技師だったようだが、TVに出た時はヘルパーとして働いていた。

 そして、見た目を猫科に変えた後に、SRS(いわゆる性転換手術)も受けている。

 同じく身体改造で有名な方が、「最近性転換もして、雄猫から雌猫になったよ」と語っていたのを雑誌で読んだ事があった。

 

 2012年に自殺してしまったそうだ。

 合掌。

 私のメール友達のFTMの人も、「ここまでやっても救われなかったか」と、自殺にはショックだったと語っていた。

 

 彼女のなりたかった自己像は、他の人達には、理解されなかったのだろう。

 元いじめられっ子だったという彼女がなりたかった、強く、そして多分自由としなやかさの象徴だったであろうトラ。

 そこに至るための人目を引く身体改造は、他の人々の目には、彼女が目指した境地を具現するものとしては映らなかったのだ。

幻想の向こう側へ行きたい①

 前のブログに「Xジェンダーは、自分自身が一人でいながらその半身と一体になった状態を探し求めている性だ」と書いた。

 若干、例外の人はいるかもしれないが、確かにこういう傾向の人は多いような気がする。

 

 そして、この傾向を持つ人には、大きく分けて二通りの傾向がある。

 

 他人から見て、幻想の中の生き物~アンドロギュヌスとして見られたいという欲望が強い人々と、他人など全く関係なく生きる人々とである。

 

 前者は他人の視線を常に必要とし、後者は他人の視線を意識しない。

 前者はナルシスト、後者は自閉症に近い状態かもしれない。

 

 私は、元々前者であったが、自分のルックスが自分で満足できるものでなく、他人からも自分が満足いくように扱われる事は金輪際ないだろうという諦めの境地から、後天的に後者になった者である。

 

 ところで、以前のブログに登場するMTXのSちゃんが、私の家に来て、「生活感ある~」と言ったのだが、それが非常に嫌だった。

 たとえ見た目が醜くても、私だって、生活感の無い、幻想的な謎めいた人になりたかったのだ。

 Sちゃんの真意はわからないので、それがMTXのFTXに対する優越感から出たものなのか、単純に全く悪意の無い褒め言葉だったのかは不明である。

 だから、Sちゃんに対して面と向かって文句を言う気もなかった。

 

 だが、悪意で言ったのかそうでないのかは置いといて、言われるのは私も悪いと思った。

 人から「生活感の無い謎めいた人」に見られたければ、部屋は常にきれいにしていなければいけないのだと思う。

 「片付けられなくて汚部屋に住んでいる」などとと公言してはならないのだ。

 で、見た目にも気を使い、食べたいだけ食べてはいけないのだ。

 

 で、これはある種の矛盾をはらんでいると思った。

 そう見られたいのにそうできない私も矛盾だが、そもそも、現実の生活に関心を払わなければ、まめに片づけをする、ダイエットに気を配る、事はできない。

 

 非現実、非日常だけを追い求め、現実を置き去りにしていては、単なる汚部屋の中のデブとなってしまう。

 常に他人を自己確認のための道具にしてしまうナルシストも嫌だが、いわゆる悪い意味でのオタクというと、後者のイメージが付いて回る。

Xジェンダーの研究会

 土曜日、Xジェンダーの研究をしているソニヤ・デールさんという方の講演会があるらしい。

 

性自認Xの会主催「日本でXジェンダーに当てはまる性自認の調査と現状についての報告会」

【日時】 2017年2月25日土曜日14時00分から16時30分(開場:13時40分)

【会場】 あんさんぶる荻窪・第2会議室(東京都杉並区荻窪5丁目15番地13号)

【参加費】 1000円

【講師紹介】 ソニヤ・デール(一橋大学社会学研究科特別講師)

2014年上智大学で博士号を取得。博士論文はXジェンダーというアイデンティティの考察で、Xジェンダーの社会的および歴史的な背景を基に、当事者の経験やアイデンティティのナラティブを調査。現在、博士論文に基づいて本を執筆中。社会学という分野において、クィア理論、ジェンダーセクシュアリティ研究、、エスニシティと人種問題などについての授業を担当。様々な視点からの社会的な「マイノリティ」に関心を持っている。

 

 かつては、トランスの中でも居場所がなく、存在自体を無いものとされてきたXジェンダーが、それだけで研究材料となるとは、という感がある。

 

 ソニヤさんという方の研究と、私が思っているトランスとXジェンダーの違い等について、カブっている所があるかどうかはわからないが、私なりに思った事があるので書いてみたい。

 

 先日、FTMの方とお話する機会があった。

 その方は、自分も結婚したいし(男として、嫁さんをもらって身を固めたい)、友達の女性がずっと結婚しないのを心配していた。

 つまり、普通の(今は結婚も恋愛もしたくない男性が増えているというから、普通と言っていいのかわからないが)男性と同じ感覚を持っているといえる。

 

 対して、私は女性としても男性としても結婚したいという願望が無い。

 これを、その時は、その男性(FTM)に説明するのに、両親の仲が悪かった事など、結婚にいいイメージがわかない事を理由にしてしまったのだが、後になって、気になってしょうがなくなった事がある。

 

 それは、「じゃあ私は、両親が仲が良い家庭に育って、家族トラウマなど無かったら、結婚したかったのだろうか?」という疑問である。

 で、これは、考えれば考えるほど、いや、例え両親の仲が良く、祖父母にDVなど無かったとしても、やはり私は結婚したくなかっただろう、と思えてきた。

 

 失われた半身、という神話があるが、ヘテロの人やゲイやレズビアンが男と女、男と男、女と女の片割れを探しているとすれば、トランスジェンダーが自分の身体が違うだけで、やはり異性(身体的には自分の元の身体と同じ性の、という事になるが、ここは心の性で語りたい)や同性を求めているのに対し、Xジェンダーは、自分自身が一人でいながらその半身と一体になった状態を探し求めている性だともいえる気がする。

 

これに関しては、また、後に、もっと詳しく書いてみたい

実践倫理宏正会に気を付けて!

実践倫理宏正会というのが、家に勧誘に来た。

ドアを開けず、説明が宗教っぽかったので(それも安倍政権が推進しそうな、家庭のあり方がなんたら~と言うので)、

「宗教ですか?」と聞いたら

「違います。一般社団法人です!」ときっぱりと言った。

「パンフレットは無料なので、ポストに入れておきますね」

と言うので、去った後、取り出して見たら、案の定、妻は夫に従え、家族は夫中心が良い、などという日本会議系カルトっぽい事が書かれていた。

 

ネットで調べてみたら、やっぱり、一般社団法人を名乗る宗教団体で、安倍首相や森元首相が関係していた。

 

入会トラブルも多発しているらしい。

 

宗教なのに、宗教でないと言い張り、一般社団法人の皮をカブって勧誘するって

悪質カルトじゃないの?!

こんな手口を使って勧誘するような団体に、首相や元首相が関わってるって、本当に危険だと思う。

癇の虫の正体について

 以前、癇の虫についてこのブログに書きましたが

http://genkuroda.hatenadiary.jp/entry/2016/04/08/203451

 

 実際に虫が出て来たのを見た!と言う友人の話だが、それを裏付けるこんな記事を見つけました。

https://mamanoko.jp/articles/12898

 

癇の虫を出す儀式って実際に行われていたんですね。

 

その友人は、当時、子供だったから、本当に虫が出て来た、と錯覚しても無理はないです。

近況

 近所のお年寄りの買い物代行などをしている事は、以前のブログで書いた。

 買い物は、着替えなどの介助と比べれば楽であるが、でも、毎日、毎食のパンと弁当を買って来るのは、それなりに大変だった。

 まぁ、食事を作るとかより楽だけど。

 

 で、今週の事であるが、ケアマネージャーさん(ヘルパーさんを取り仕切っている人)から、

「この状態でいると、あなたが、遺産目当てで○○さんに近づいていると近所の人から思われる」

と言われた。

で、電話で話し込んだ結果、買い物などはヘルパーさんに頼む、毎日ではなく、週2位顔を出す程度にする、長居はしない、という話になった。

 だが、翌日ヘルパーさんに話すと

「急に買い物一切から手を引かれるのは困る。ヘルパー同士の調整も必要で、その体制が整うまで、あと一週間位はやってくれないか」

という話だった。

 この板挟みみたいな状態もそうだったが、何より「遺産目当て」という言葉が出て来たのが、かなり不快だった。

 

 私は、元々、どこか冷たい所があるというか、人間として何かが欠如しているという自覚があるから、意図的に人に親切であろうと心がけていた。

 それは、宇都宮健児さんを知ってから、

「人間、この人のような心がけで生きるべきだなぁ」

と、感動した、という、しごく単純な動機なのであったが、そのように、親切のつもりでやっている事が、「遺産目当て」と思われる、というのは、とても心外だった。

 

 「十人いたら九人はそう(遺産目当てだと)思うわよ」

ケアマネージャーさんが、どういうつもりでそれを言ったのかも、色んな可能性が考えられて釈然としなかった。

・世間とはそういうものであると客観的に伝えただけ。私が近所から怪しまれるのを事前に防いであげるつもりだった。

・単に意地悪で嫌がらせを言っただけ。

・私が本当に遺産を狙っていると思っている。お年寄りを守るために、私を引きはがそうとして、確信を突いた。

などなど、考え出すときりがなかった。

 

それで、今日、精神科の通院だったので、その事を先生に話したら、

「ヘルパーさんの方が現場を知っているから、急に買い出しを止められたら困る、というのは切実だと思う。ケアマネさんの言い方はちょっと悪意があるね」

と、言ったので、

「じゃあ、ヘルパーさんの言う通りにして、ケアマネさんの言葉は聞き流せば良いのかな」

と、思いつつ、クリニックを出て、薬局に寄り、遅れて作業所に向かったのであるが、作業中、またケアマネさんの言葉の真意は何か、普通の人は、本当に十人中九人は遺産目当てと思うのだろうかと、気になってしょうがなくなったので、昼休み、職員さんの一人に相談してみた。

 

 そうしたら、その反応は意外な事に

「噂だけで済めばいいけど、あなたの、お金を預かって買い物をするっていう今の状況は、もし、そのお年寄りに何かあった時、親戚から、横領とか疑われても身を守れない立場ですよ」と、言われた。

 結局、副代表の人とも相談することになり、お金を預かるような手伝いは一切しない方が良い、という話になった。

 今まで、レシートを見せても、そのご老人は、

「私は、金に細かい事は言わないから、とぽいっとすぐゴミ箱に捨てていた。

 私に預けている分のお金が少なくなる頃、というか、その前辺りから、

「そろそろ足りなくなるんじゃない?」

と言って、5千円とか1万円を渡していた。

 副代表は、

「あなたが正当に使っていても、それを証明する証拠が一切無いのはまずい」

と言い、あと1週間かもしれなくても、これからはレシートは取って置くように、と念を押した。

 そして、今後はお金を預かる手伝いからは一切引かしてもらうべきだと。

 

 作業所が終わって、携帯をみると、メインで入っているヘルパーさんから不在着信が入っていた。

 家に帰ると、ヘルパーさんが来る予定の時刻に合わせて、ご老人を訪ねた。

 その日来るのが、メインの人だったら話がしたかった。

 そのご老人本人に、何かあったら、という言い方はしなかったが、

「レシートは取って置けと、相談した目上の人に言われたので、これからはノート(ヘルパーさん同士のやり取りと私も時々書き込むノート)に貼っておきます」

と説明していたら、チャイムが鳴った。

メインで入っているヘルパーさんだった。

 数日前までは、一週間位は買い出しを続けて欲しい、と言っていたのに、なぜか今日は、

「来週の月曜から買い物の事は一切こちらでやります」

と、いう事だった。

 ただ、その言い方はそっけなくではなく、私に対する礼儀というか、気配りとかがとても感じられる言い方だった。

 

 こうして、毎日の買い物からは、やっと解放されることになった。

 ヘルパーさんは、今まで私がやって来た事を急に取り上げられるのは心外ではないかと心配しているようであったが、そういうのは一切ない。

 ただ、そのお年寄りが、今までは週のうちのかなりの日数、一緒に夜お弁当を食べていたのが、急に週1日とかになったらさびしいんじゃないか、というのが気がかりだった。

 

 しかし、実の処、毎日は私も疲れて来ていたので、週1、2回とか訪問すればいいだけになるのは楽だった。

 気がかりなのは、今までなんとなく、引き留められるがままに、毎夕食を共にする、という習慣を作ってしまったのは、まずかったかも、という後悔だ。

 

 ご老人は、今の所、デイケアとか行きたくないと言っているらしい。

 だと、顔を合わせるのはヘルパーさんと私だけになってしまう。

 そのうち、デイケアにも通って友人ができたり、車椅子にも抵抗が無くなって、以前馴染みだった店にも顔を出せたり、できるようになればいいなと思う。

ネットで見かけた一説

 音楽の好みと性格の話では、クラッシック好きとへヴィ・メタル好きが意外な事に性格がよく似ている、という話などが有名であるが、もう一つ、メロウな音楽を好む人は情緒型、パンクやへヴィ・メタルのような激しい音楽を好む人は論理・分析型、というのを読んだ事がある。

 

 私は昔から、パンク、へヴィ・メタルと一部のEDMはわかるのだが、自分を音楽好きと称していても、どうにもわからないものというのが沢山あって困っていた。

 わかる・わからないは単に知識ではなく、良さを堪能できるかどうか、という意味である。

 

 この分類でいくと、私は論理・分析型ならしいのだが、本人の生活・人生が無駄が無く合理的であるかは大いに疑問だが(w)、確かに、大雑把に言って二つに大別できる人間の傾向みたいなのはあるように感じる。

(もちろん、両方の特徴にまたがった音楽もあるし、すべての人がきっぱり二つに分かれるわけでもないが)

 

 それはコミュニケーションの様式などに顕著に表れる。

 私は、たぶん情緒型の人との雑談では、どこで相槌を打ち、どこで目を合わせ、どこで笑顔を作るかなどで、相手に変な顔をされたり、なにかと齟齬が生じやすい。

 特に、見た目が童顔で大人しそうなので、情緒型タイプの人から、この人もきっと同じタイプだと誤解されて話しかけられた場合が、そういう状況に陥りやすい気がする。

 

 で、そういう点で楽な相手というのは、パンクやへヴィ・メタルが好きかどうかは置いておいて、確かに、論理・分析型という言い方が当てはまっているようなタイプが多いのだ。

 

 で、音楽の趣味が近くて知り合った人というのは、単に話題があるから比較的コミュニケーションが取りやすいというのもあるが、基本こちらの性格傾向に対しても誤解が無いから、楽なのかもしれない、と思った。

 

 あと、付け加えておくと、ここで大別されている論理・分析型タイプというのは、確かにドライで冷淡な人もいるかもしれないが、人に親切であろうと心がけている人だっているし、情緒型に分類されるタイプが必ずしもみんな優しいかというと、ネチネチ意地悪な人も中にはいると思う。