狂人作家         黒田幻の日記

    心理学・精神分析に興味を持っていた社会不適応者。ついに自分自身が精神病になる。    幻覚・幻聴実体験記「狂気」絶賛発売中!

デジャヴと空飛ぶ夢

 どちらも、中年以降、さっぱり無くなったが、子供~若い頃頻繁にあった。

 で、珍しいのは、デジャ・ヴは単なる

 「前にこれあったな」

ではなく、

 「前にこれ、何回も何回もあったし、その度に、前に何回も何回もあったって思ったよな」

であった点だろうか。

 そういう事が一番多かったのは高校生の頃で、平均して週に3~4回もあった。

 まるで、合わせ鏡の中を覗いているように、無限に続くデジャ・ヴなのである。

 そして、大抵、次はこういうシーンが展開されて、とわかるのであるが、実際にその通りになるのだ。

 でもそれは、予知と言えるような長い時間ではなく、ほんの一瞬の些細な出来事~次に、誰々が私の目の前を横切るとか~なので、競馬とか宝くじに使えるような、便利な予知能力ではないのだった。

 空飛ぶ夢の方も、やはり記憶が連続した空飛ぶ夢だった。

 夢の中の自分には過去の記憶があって、飛べる夢の時は、必ず、自分はずっと前から飛べていたのだった。

 そして、アニメや特撮もののヒーローのように、力強くぐんぐん飛んで行くのでも、鳥のようにパタパタと羽ばたくのでもなく、ふわふわと、立ったり座ったりする姿勢のまま浮き上がり、念ずるとそのまま横にも移動できる、という具合だった。

 飛行機というよりは、ドローンの動きに近い感じだった。

 高さは2m位から、高くても3、4階位の事が多く、宇宙から地球を見る、とかそこまでスケールのでかい飛行ではない。飛び方もどこか安定感を欠き、常に、あの電線の所に落ちたら嫌だなとか、あの茂みに落ちたら痛そうとか、セコイ事を心配しているのが、私ならではだった。

 浮き上がる時は、念じ方によって、自分だけが浮き上がれたり、机や椅子も一緒に浮き上がったりした。

 飛ぶ夢を見ている時は、特にそれがすごい事とか、感動的であるとかは思わなくて、本当に、日常自分が歩いて移動できるのと同じように飛んでも移動できる、ただそれだけだった。

 飛ぶ夢は、そう聞いて連想するようなロマンチックなものではなく、デジャ・ヴは、どちらかというと不気味で不快な感覚だった。

 にも関わらず、それが無くなってみると、また若い頃のように、その体験がしてみたいと、時々思ったりする。