狂人作家         黒田幻の日記

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昭和の痴漢電車~前編

 母は、私達が未だ物心つかない頃から、私と妹達に、

 「お父さんとセックスするのが嫌だ。お父さんのセックスは性欲だけで愛情が感じられない。」

 「お父さんの事、尊敬したいのに、どうしても尊敬できないのよ。」

と、漏らしていた。

 後に、ある人にこの話をしたら、

 「よっぽど周りに、相談できる人がいなかったんだね。」

と、言われた。

 母の祖父母は、DV家庭であった。

 祖父が祖母を追い回し、髪の毛をつかんで畳を引きずる様も、子供の頃、何度聞かされたかわからなかった。

 母は、父と結婚する以前から男性恐怖症であり、父に、母の父親(私の祖父)の姿を重ねて見ていたとも言える。

 母と父は見合いで結婚したが、母は、

 「とにかく実家から逃げ出したかったから結婚した。」

と、言っていた。

 母は、いわゆる宗教右派の新興宗教に入っていた。

 男性恐怖症だったが、その裏返しで理想の父親像を求めていた。

その宗教の教祖や昭和天皇への崇拝は、理想の父親像への憧憬なのであった。

私の方はと言えば、一方で、夫というものがいかに横暴で理不尽であるかを聞かされながら、もう一方で、その宗教右派の理想とする家父長制の下での良妻賢母になれと教育された。

私は、ハナから嫌なこった、と思っていた。

私は、将来は女にはならない、と思った。

女ではないものは男、だから自分は男になる、と思っていた。

でも、身体は女なんだから、女になるしかないのかもしれない、ともどこかで思っていた。

私には、母が教える神とは、真逆の方向に導いてくれる私だけの神がいた。

真夜中、私は、よくその神に祈った。

もしも、女にしかなれないんだったら、どうか、母が私をそうしたがっている従順でおしとやかな女(≒DVの犠牲者のイメージ)ではなく、それとは真逆のフラッパーでヴァンプな女になれるようにして下さい、と。

実際には、DVに遭いやすいのは、むしろヤバそうな男に好んで近づきたがる女だろうから、その頃の私が羨んでいたような、フラッパーでヴァンプな女に近いタイプの方が、そういう目に遭う確率は高いのかもしれない。

が、子供の頃の私の中では、ケバイ女は魔除けのように、DVとか嫌な目には合わなそう、というイメージが先行していたのであった。

母は性的なものをヒステリックに嫌悪していた。

その当時、そういう教育ママスタイルが流行っていたのかもしれないが、父が濡れ場や女の裸が出て来るTV番組を見ていると、

「あなたっ!そういうのは子供の教育上良くないのよっ!」

と、怒り、教育上良くないものをすべからく家庭から排除する事に熱心だった。

 私はなぜか、母が性的な事で怒り出す時だけに限って、非常に怖かった。

 後に、母にその事を話すと、

 「当時は、体罰をしていたから、私が怖かったんでしょう。悪かった。ごめんなさいね。」

と、言うのだが、実際の所、私は、自分がいたずらをしたり、言う事を聞かなかったりして怒られる分には、いくら叩かれようが、ちっとも母の事を恐れていなかったのである。

 怒られても怒られてもまた同じ事をしでかすような、全くナメた子供だった。

 それなのに、母が性的な事で怒り出すという事態だけは異常に怖かった。

 なぜかは未だにわからないのだが、たぶん、自分のいたずらで母が怒る分には、因果関係がはっきりしていて、私にとって理解しやすかったのだと思う。

 逆に、自分に何の責任も無い、エロい物事で母が怒りだす場合、その事の何がそんなに母を怒らせるのか理解できないし、また、その事態はいつやってくるのか予測もつかず、私の力では制御不能の領域だったからではないだろうか。

私は、子供の頃、自分でTVのチャンネルを回す、という行為ができなかった。

 回した先に、母が怒るようなラブシーンや、女の裸が出てきたらどうしよう、と思って手が出せなかったのだ。

 時折り、誰も見ていないのに、TVがつけっ放しになっていて、私が一人で居間にいる時に、たまたま濡れ場が始まってしまう、という事もよくあった。

 そんな時は、母が居間に入ってきたらどうしよう、自分でチャンネルを変えたら、いよいよ自分が見ていたように思われてしまう、とパニックになり、やっぱりチャンネルを触れなかった。

 そこで私は、押し入れに隠れるようになった。

 それは、

「私はずっと押し入れで寝ていたから、関係ない。他の誰かがTVをつけっ放しにしていただけ。」

と、いう意思表示であった。