昭和の痴漢電車~後編
ある日、私が風邪で寝込んでいると、母が退屈だろうから、と珍しく漫画雑誌を買ってきた。
母は中身を見ないで、子供向けの雑誌だと思って買ってきたようだが、その中に、やはり母が見たら怒りそうな漫画があった。
妹が、私が読み終わったな、という頃にやって来て、「貸して。」と言った。
私はダメだと言い張った。
妹は、母がそういう事で怒り出す事に無頓着だから、読み終わったら、母の目につきそうなそこら辺に放り出すに決まっている、と思ったからだ。
「貸して。」「ダメ。」「貸して。」「ダメ。」
と、言い合っていると、
「意地悪しないで貸してあげなさい!」
と、母が怒った。
私は、嫌な予感がしながらも妹に雑誌を渡した。
夜、私が少し症状が良くなって起き出すと、やはり恐れていた通りの場面が展開された。
居間で、母がその雑誌を広げて読んでいた。
私は、足音を忍ばせて、冷蔵庫から、飲み物を探るふりをした。
途端、
「まあっ!何っ!この漫画!」
母の声が鋭く突き刺さって来た。
私は、手足がガクガク震え、まともに立っていられるのがやっとだった。
舌が、「針千本飲~ます」と指きり文句にあるごとく、本当に針が千本突き刺さったかのようにビリビリと痺れた。
口の中がカラカラに乾いて声が出ない。
でも、こんなにも自分が動揺している事が、母に知れたら終わりだ、と、思った。
何が終わりなのかよくわからないが、とにかく「一貫の終わり」なのだった。
私は努めて平静を装って、
「そんなに頭に来るんなら、編集部に電話してみれば。ほら、裏表紙に電話番号が書いてあるでしょ。」
と、言った。本当は声を出すのがやっとなのに、なんとか震えないように声を出した。
母は、後日電話する様子もなく、その一件は過ぎ去った。
ある日、私と母と妹二人とで、井の頭線に乗っていた。
すると、妹達と母が座っていた席の真向いに、変な男と女が座った。
男の方は、なんかいかにも胡散臭い、いかがわしさが漂ってくるような雰囲気で、女の方は、昭和の時代のエロ本にありがちな、美人ではないが、どことなく退廃的な感じで、でも派手な服装ではなく、すっぴんに白のブラウスと膝丈の紺のスカートという格好だった。
二人は、並んで座ると、普通のカップルがするいちゃいちゃとは、また違った行為を始めた。
男が女の胸のボタンをはだけ、人前で、その黒い乳首があらわになるように胸を揉んだり、おもむろにスカートの中を覗きこんだりし始めた。
「痴漢だ。」とは思ったが、小学生だった私には、女がなぜ抵抗しないのかがわからなかった。
それより何より、母に見られたら一大事、と、私は母の前に立って、視界を遮った。
母は、今思うと、気づかないふりをしているだけだったと思うが、普通にしているので、私は「大丈夫、まだ気づいていない。」と、思った。
妹の隣の席が空いた。
母が、「座りなさいよ。」と、私に促した。
「いい、立ってる。」と、私は言った。
内心、冷や汗ものだった。
全然関係ないカップルのために、なぜ私がこんなにハラハラドキドキしなければならないのか、全く不明だったが、とにかく私には、母が動揺する、とか怒り出す事態が怖かった。
一駅か二駅の間だったと思うが、時間がたつのが超長かった。
高井戸駅で、男は先に降りると、女に向かって「おいで。」と、言った。
女は素直について行った。
母は、最期まで何事もなかったかのようにしていた。
私にとっては、人生で初の「痴漢プレイ」目撃体験であった。