狂人作家         黒田幻の日記

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父の死

 私の手元に、どうしても捨てられない新聞の一片がある。

 2015年5月17日の「赤旗・日曜版」に載っている、岡野雄一さんという方の描いた「ペコロスの母の思い出」という4コマ漫画である。

 

 認知症になってしまった作者の母親の元に、今は亡き父が現れるのだが、「母の前に現れる父は、穏やかな好々爺で、酒に荒れる父は母の中からきれいに消えていた」という最後の一文を読んだ時、涙が流れた。

 

 この新聞は、5月17日となっているが、貰ったのは5月16日の土曜日である。

 

 その日、私は、病床の父の元へと向かっていた。

 乗り換えの北朝霞駅から朝霞台駅に向かう途中の路上で、解釈改憲に反対する演説をしていた共産党の人達が持っていた用紙に署名した時、貰ったものであった。

 ちなみに、政治に関する事は大抵、両親と私とは真逆の考えである。

 

 その日から二年前の事を思い出していた。

動脈瘤の手術で入院した父の見舞いに通っていた日々。

 大動脈瘤の手術はすぐ済むものであったが、入院中に転倒・骨折し、大幅に入院生活が長引く事になってしまった。

 

 その頃、軽くボケ始めていた父は、やはり穏やかな好々爺になっていた。

 

 私の実家は、皆、何らかの発達障害精神疾患を持っていたのだと思うが、元々は、常に誰かと誰かが怒鳴り合っているような家だった。

 父は、とにかく凶暴で母や子供達に当り散らす時期と、人が変わったようにいい人になる時期とがあった。

 凶暴な時はハイテンションだったが、いい人の時は元気が無かった。

それでも仕事は休まなかったが、帰って来るとすぐに寝込んでいた。

 

 私の目に映る父と母は、ある時は、典型的な威張り散らす夫と虐げられた妻、またある時は、気弱で人の良い夫とガミガミ責め立てる妻、と立場が逆転したが、いづれの時も、父と母の間に、ほんの僅かの愛情も信頼も皆無であるように感じられていた。

 母は、私達子供等に「別れないのはあなた達の為なのよ」といつも言っていた。

子供の頃はそう信じていて、母は自分たちの犠牲になっている、と思っていたが、大きくなるにつれ、結局は自分の為で金目だろうな、と思うようになった

父の方は、何故母と離婚しないのか、よく分からなかった。

 いづれにしても、どちらも、離婚してすぐ再婚相手を見つけられるようなリア充タイプではなかった。

 

 ある時、私が見舞いに行って、

 「今日はママは来た?」

と聞くと、実際にはその日の午前中に、母が来ていたにも関わらず、父は、

 「来ていない。ママは(自分より)猫の方が大事なんだよ。」

と、いじけたように言った。

 

 この時私は、父との間に、色々と確執もあったが、それらがすっかりほどけていくように感じたのだった。

 

 この話を主治医の先生にした時、父がボケて子供返りをした事について、

 「それは悲しいでしょう。」

と言われた。

でも私は、語弊があるかもしれないが、むしろ心が暖まるような、子供の頃は憎んでいた父に対する愛しさのような気持ちが芽生えたのである。

 

 今まで、父と母との間には、何の愛情も無いと思っていたのが、父には、母を慕う気持ちがあったのか、というのが嬉しかった。

 母の方も、父が入院中に骨折してしまった事について、

「こんな事なら、手術させなくても良かった。パパ、可哀そうだったね。」

と涙目になっていた。

 この時は、もう寝たきりになってしまうんじゃないかと、私も母も思っていた。

 母にも、父を思う気持ちがあるのだと初めて思った。

 人生で初めて、家族に関する事で、幸せな気分になれた時期だった。

 

 父はその後、骨折からは回復した。

だが、二年後に誤嚥性肺炎を起こした。

そして、一年前の5月16日は、父の命日となった。

 

 朝霞台の駅前で、新聞を貰った時は、その日父が死ぬとは思っていなかった。

 

 父が亡くなった翌日の日曜日に、一旦部屋に帰って、キャリーバッグのポケットに入れっぱなしになっていた新聞を手に取った。

 

 そして、この岡野雄一さんの漫画を目にした時、涙が止まらなかった。

 

 私の父は、酒が全く飲めなかったので酒乱ではなかったが、荒れている時期のあった父、親のボケや死など、たった4コマの漫画の中に、その時の私の心境とカブるテーマが詰め込まれていた。

 

 この一作でファンになり、既に出版されている本を三冊、ネットで注文したのだが、岡野さんのお母さんの、ボケてから、より純粋な心に帰っていく様が、自分の父の最後と重なった。

 父を憎んでいた時期もあったが、荒れていた時期の父というのは、何らかの心の病であったと思う。

 本来の父は、岡野さんの漫画に出て来るお母さんや、死んでからお母さんの前に現れるお父さんのような、純粋な心の持ち主であったように思う。

 

 

 ここで話を〆たいところであったが、一周忌に関して、不愉快な事があった。

 下の妹の体調が悪い事もあり、「一周忌はしない」と母が言っていた。

 それで、母と私とで墓参りに行くという話になっていて、ゴールデンウィーク近くになったら電話すると母が言った。

 先日、電話があり、「真ん中の妹の旦那がお寺に行って、一周忌はもう済ませたから、お墓参りには行かなくて良い」と告げてきた。

 私は、「なんで事後報告なのか?なぜその一周忌の前に連絡をよこさないのか?」と訊ねた。

 母は、「○○さん(妹の旦那の姓)が、『明日、僕が行って一周忌をやりますよ。』と急に言うから、連絡できなかったのよ」と言った。

 一周忌が、前の晩にお寺に電話して、すぐできるとは考えがたい。

 何か、母は、兄弟同士を会わせたくないんじゃないかと思う。

 妹二人とは、子供時代の確執もあったせいか、こちらが電話しても出ないし、折り返し連絡もよこさない。

 そして、母は、お正月も、妹がいつ来るかとかは私には決して知らせず「○○ちゃんは来ない。△△ちゃんも来ない」と言い続け、それがいつの間にか、私と違う日に来ているのだ。

 まぁ、妹達の方が私には会いたくないのかもしれないが、母が何か、兄弟同士が話さないようにしている可能性もある。

 母の日が近いが、一周忌を知らせなかった事が不愉快で、しばらく母とは口をききたくない。

 

 そんな訳で、今日、一人で父の墓参りに行ってきた。

 お寺とは不思議な所で、行くまで、一周忌の事を隠していた母に対し、ずっと不愉快な気持ちがあったのだが、簡単な黙祷を済ませてお寺をでると、スッと静かな気持ちになっていた。

 私は、特に何かの信仰を持っている訳ではないが、皆が敬虔な気持ちで訪れる場所には、何らかのパワーが確かにあると思う。

 

 写真は、私の部屋のベランダのプランター

父の葬式の時、葬儀屋さんからもらった花の種が、去年の夏咲いて、その落とした種が、今春芽を出したもの。

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