狂人作家         黒田幻の日記

    心理学・精神分析に興味を持っていた社会不適応者。ついに自分自身が精神病になる。    幻覚・幻聴実体験記「狂気」絶賛発売中!

日本会議が推奨する家族観が気持ち悪い

 表向きには、「仲の良い家族」というイメージを持ってくるが、やりたい事は「家父長制」に戻す、そういう事である。

 私にとっては、家父長制は、女子供の人権の無い、DVや虐待の温床にしか思えない。

 

 以下は、私のごく個人的な体験であるが、何かしらこの中には、普遍的な事柄も含んでいると思うので、あえて書こうと思う。

 

 以前このブログでも書いたが、私の母の両親(私の祖父母)はDV夫婦であった。

 母は、幼い頃からその影響で精神不安定になり、宗教に救いを求めた。

 しかし、それが、谷口正春(初代教祖)時代の「生長の家」であった。

 

 ここで、知っておられる方にはくどいが、知らない方のために説明を付け加えておくと、

現在の「生長の家」は三代目教祖率いる、エコロジー脱原発を掲げる宗教で、初代教祖からの極右路線をそのまま継承する幹部を首にしたり、またそうした人々(極右路線)の方から反発して出て行ったりして、お家騒動になっているらしい。

 最近、宗教法人生長の家」では、声明を出し、原発を推進する自公は支持しない、野党統一候補を支持する、また一部の元信者が、日本会議に関係している事を遺憾に思う、と述べた。

 詳しくは菅野完著「日本会議の研究」を読んでいただくとわかるが、安倍政権下の大臣職の大半が加入している「日本会議」、日本会議とほぼ同一の組織「日本青年協議会」、そしてこの二つとほぼ同じ主張をしている「日本政策研究センター」は、いづれも、初代教祖の思想を引き継ぐ元生長の家の人達が作った組織である。

 

そして、その思想の特徴は、ピラミッド型の構造を好み、天皇を頂点として、全ての組織、家族の内部でも強固な上下関係を築く事を良しとしている。

 こうした事を好む性質から、安倍政権が貧富の差を拡大し、軍事に力を入れる事は、社会全体のピラミッド構造化と親和性があるとも言えるのではないか。

 

 子供の頃からずっと聞かされてきた、私の母の口癖は、ほぼ日本会議系の自民党の幹部が口にする事と一緒だった。

 「個人主義は諸悪の根源」

 「みんなが好き勝手な事をしているから、社会が悪くなる。がん細胞と一緒。それぞれが分相応の役割を果たし、歯車の一つとして機能すれば、国や社会全体が良くなる」

 

 他に、例を挙げると切りがないので止めておくが、ようするに、家族、会社、学校、全てがピラミッド型にきちんと上下関係があり、その一番上に天皇があるのが理想の国、という事だ。

 

 私は、今の天皇皇后は平和主義者なので好きだが、母がこうした事を言い出す度に、何とも形容しがたい嫌悪を感じていた。

 

 これも、以前のブログに書いたが、母は自分の両親のDVの影響で男性不信や嫌悪がものすごく、それを父にも投影していた。

 私達姉妹は、物心つかないうちから、

「お父さんとセックスするのが嫌だ、お父さんには性欲だけで愛情が無い」

「お父さんの事、尊敬したいけれど、どうしてもできないのよ。」

とグチを聞かされ続け、その上で

「女は男に従うのが良い」

「お嫁さんの衣装はね、和装でも角隠しといって、女の人は強くあってはいけないとされているし、洋装でも、純白のウェディングを着るのは、何でもあなたの色に染まります、という意味で、世界各国で妻は夫を立てる事が良いのよ」

と言われ続けた。

 

私は、今でも自分が結婚するとかあり得ない、という強固な嫌悪感がある。

同時に、自分が女である事が嫌でたまらない。

自分の事を女として意識してくる男はことごとく気色悪いし、意識される自分も気持ち悪い。

それに、男女の差異に関する話題を耳にしただけでも気分が悪くなり、そういう日は一日不愉快になる。

 

私は、両親のDVを目撃し続けた母が、何故素直にウーマンリブフェミニズムの方向へ行かず、よりによって男尊女卑の宗教(母によると、卑しんでいる訳ではなく、従順な女は美しい、という事なのだそうだが)に走ったのか理解に苦しんだが、たぶん、理由はこうだと思う。

母は、昔から人前に出ると緊張して、今でいうパニック障害みたいな症状があった。

それ故、経済的な自立が難しかった。(ただでさえ、女性が自立できるのは難しい時代だったし)

専業主婦をやるしか選択の道の無い母が、自分を肯定してくれると思ったのは、ウーマンリブフェミニズムではなく、専業主婦を肯定する封建的な宗教の方だったのではないか。

 

しかし、それでも、母の言動は常に矛盾に満ちていた。

私達子供には、

「親に感謝しろ」

「母の愛」「母の愛」としつこく言う割には、避妊をしない父にブチキレ、

「家畜じゃあるまいし、こんなに次から次へと産まされたんじゃたまらないわよ!」

と叫ぶなど、要するに、自己肯定感を得るために、宗教が勧める母性あふれる良妻賢母像に必死に同化しようとしながら、本心では決して夫も子供も愛してはいないのである。

 

 母に愛されない父は、一時期、谷口正春の「生長の家」を読んで、急にいばりだした。

 「俺は家長だぞ!」

 「誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ!」

が毎日の口癖となった。

 この頃は、私は父の事が大嫌いだった。

 でも、力ではかなわないのでずっと我慢していた。

 我慢が限界に来ると、あらかじめ逃げる用意をしてから(靴を玄関に出しておく、玄関を開けておく、チャリを塀に立てかけておくなど)

 「馬鹿野郎~!死んじまえ!」と父に怒鳴り、一目散にチャリで逃げ出し、公園などで夜を明かしていた。

 

 父は、その後、穏やかで優しい性格に変わるのだが、この頃の体験は、私の性格を形づくる原点のようなものになっていると思う。

 

 母と家族、というテーマでは、他にも二つ、印象に残っている話がある。

 

 母が子供の頃、隣の家の男の子と仲良しだったが、ある日母がトイレにいくと、隣の家からその男の子の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。

 トイレの窓から覗くと、その子の母親が、その子を柱に縛り付け、物差しで何度も何度も殴っていた。

 別の日、母は橋の上でその子を見かけた。

 その子は、猫の首に縄をつけ、橋の上から何度も何度も猫を川に投げ落として遊んでいた。

 母は、声を掛けられず、黙って通り過ぎた。

 

 もう一つは、母の兄の話である。

 その兄は若い頃、病気で死んだと聞かされていたが、実は、ある日、祖父と口論になり、祖父に殴り殺されたというのだ。

 昔の時代だったから、今のように警察も、家庭の中で起こった不審死を詳しく調べる事はしなかったという。

 

 この二つの話や、自分自身の家族体験からいっても、私はピラミッド型の家族のあり方を良しとする家族観が大嫌いだ。

 

 自分の母親の、良妻賢母を装う欺瞞的な態度と共に、日本会議の推奨する「家族の絆」には、どうしても不信感を覚えてしまうのだ。