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狂人作家         黒田幻の日記

    心理学・精神分析に興味を持っていた社会不適応者。ついに自分自身が精神病になる。    幻覚・幻聴実体験記「狂気」絶賛発売中!

束縛されないとさびしいという人が信じられない。私は束縛されたくない派である。

 しばし「幻想」について書き綴っていましたが、極めて身近な話題をはさみます。

 これは書こうか迷ったんだけど。

 というのは、書かれている方本人がこれを読まないとも限らないし、極力険悪な関係にはなりたくないので躊躇していた訳です。

 しかし、やっぱり書いてしまえ。(突然、削除するかもしれません)

 

 仕事場で、昼休み、聞くつもりはないのに、聞こえてきてしまった会話。

 かみさんが、男3人と飲みに行くと言うので、ぶざけるな、行くんなら(家を)出て行け!と怒鳴ったという話。

 (嫌だねぇ、あたしゃ束縛男(女)は大の苦手だよ。)←私の心の声

 

 なんか、意外だったのは、その人は音楽やってる人で、私はミュージシャン系(プロ・アマは問わず)は、そういう束縛系の人、少ないんじゃないかと勝手に思っていた節があるからだ。

 一つには、それもあって、音楽をやる事への憧れもあった。

 

 私は子供の頃、音楽の成績はひどかった。

 なぜか、図工は得意だった。

 両親は、私が勉強以外の事をやろうとするとひたすら猛反対したが(演劇部とか)、美術だけは別だった。

 でも、私は、ひそかに美術よりも、バンドがやりたかった。

 なんか、そっちの方が自由な感じがしたからだった。

 

 いわゆる美大生には、面白い、自由な人達がいっぱいいる。

 でも、それを生業としている人には、ちょっと違った印象があった。

 で、これはあくまでも私の、本当に些細な経験談なので、全ての美術家の人に当てはまるわけではないと思うが、やはり自らの経験には強力な印象が残りがちなものである。

 

 かつて、造形作家の人のアシスタントをしていた事があった。

 舞台、CM、撮影などの大道具、小道具を作っている人達3人のアシスタントをかけもちしていた。

 で、二人は女性で、細かいものが多く(例外もあった)、一人は男性で、一番大物を手掛け、専用のスタジオを持っていた。

 そうしたら、その男性に気に入られてしまったのだが、気に入られ方が嫌だった。

 私が作業している横へやってきて、私の手の横に自分の手を置き比べて、

「わぁ、小さいね」と、言ったりした。

 背が低い事は私のコンプレックスだったが、そこを気に入られるのはもっと嫌だった。

 「小さくてかわいい」というのは、いくらでも自分の思い通りにできそうだから良い、と言われているようで不愉快になってしまうのだ。

でも、私自身、子猫、子犬は文句なしにかわいい!と思うが、別に思い通りにできるからかわいいわけではない。そう考えると、悪意に取り過ぎなのかな、と思う事もあるのだが。

相手の支配欲をくすぐる、とかいうのが嫌だ。

そういう気に入られ方だったら、気に入られない方がマシだ。

とにかく、干渉とか支配とか束縛をされたくないのだ。

 

その人のアプローチは日に日に露骨になって行ったので、そこは辞めた。

なにかと、粘着的な体質を感じる人だった。

 

 その後、また別の造形スタジオで働き始めるが、ここでもそこの人からそういう気に入り方をされた。(別に、モテた自慢ではない)

 なんか、私にとっては嫌な、粘着気質を感じるのだった。

 作品に対して粘り強いのはいいのだが、自分に対して粘着されるのはごめんだった。

 根性が無いと言われそうだが、ここもすぐに辞めた。

 

 さらにその後、軽いアルバイトのつもりで始めた椅子作りのアシスタントが、天職と言っていいほど向いていた。

 私には、不向きな仕事がいっぱいあるので、これは貴重だったのだ。

 だが、やっぱり上司にそういう感じの気に入られ方をして、耐えられなくて辞めた。

 

 最後に、20代後半の頃、ステンドグラスを習いたくて、門を叩いた事があるが、ここでも同じことが起こった。

 師匠はクリスチャンで、別にキリスト教ディスるつもりはないが、私が考えたデザインを、なにかとキリスト教の教義にあてはめて、ここはいいとか悪いとか(デザイン上の構図の問題ではなく)言ってくるのでうんざりした。

 他に習っていた方は、皆年配の所帯持ちの方ばかりで、独身は私だけだったのだが、師匠は特に私を気に入っていて、他の方達は、なんかそれを後押ししようとするような、異様な雰囲気になってきた。

 私は、ステンドグラスはやりたかったのだが、ここでも同じ理由でいたくないと思った。

 すごく引き留められたが、辞めた。

 

 あるピアニストの人が、その人は私が運動音痴なのを知らないので、別に何の悪気も無く言ったのだが、

「音楽が得意な人は運動もできるんだよね。美術はそうではないんだけど。なぜだかはわからない」

 私は、すぐに理由がわかった。

 音楽は、時間の流れと共に、次にどこへ(どのタイミングでどの音階へ)着地するかを瞬時に判断しなくてはならない。スポーツもしかり。しかし、美術は時間の流れとは関係ない。じっくり考えてから、色、構図を決められる。そこに運動音痴は関係ないからだ。

 で、私はなんとなく悲しかった。

 

 だから、美術系の仕事や習い事には、必ず粘着タイプっぽい上司や師匠がいて、私はそういう、なんかじとーっとした人に気に入られやすいんだ、嫌だなぁ、私だって、もっと自由な恋愛がしたいよ。

 で、くだらないんだけど、占いとかで、牡牛座は安定、土のマテリアル、O型は…とか出て来るのさえ、それを思い出していちいち嫌になってしまう。

 私だって、風や水が流れるような奔放な生き方をしたいのに…みたいな一人愚痴。

 

 で、音楽をやっている人は自由人で、恋人を束縛したりしない、というイメージが勝手に出来上がっていた。

 

 だから、職場の人の会話が意外だった。

ゆえに、聞くつもりないのに耳に入って来てしまったのだが…。

 

 音楽をやっている人は自由人で、相手の事も束縛しない?本当にそうなのか?根拠は?

 

 だって、今まで音楽の趣味が合った人は、束縛タイプいないし…。

 

 もしかして、それは、私の音楽の趣味と声で、私の事を束縛する対象ではない、と判断していただけだったのかも。

 そう思うと、一つ、合点がいくような気がしてきた。