露出狂の思い出
緑まぶしく、セミがジンジン鳴いているレンガ造りの坂道。
小学生の私は、塾の夏期講習へ向かう途中だった。
ふと、横を見ると、道路脇に路駐している黒い車のドアが開け放たれ、運転席にいた男は、歩道側に足を投げ出していた。
男はズボンとパンツを膝まで降ろし、自らのモノを手に持ってブラブラさせていた。
「ふ~ん。」と、私は思った。
男は別に怖い感じはしなかったし、いわゆる痴漢というものは、触ってきたり襲ってきたりするものと聞いていたので、この男が痴漢であるという認識は無かった。
だから、何の反応もせずに通り過ぎたのであるが、しばらく歩いていると、チャリンコに乗ったお巡りさんが四、五人も、血相を変えて、私が来た方向へと走り去って行った。
これは、そんなに大変な事件なのか、とその時、初めて思った。
成人してから、西武線の中で、再び露出狂に出会った。
もちろん、別人であるが。
ビミョーな時間帯だったのか、鈍行だったからか、極端に空いていた。
そわそわした様子の男が隣に座ってきて、雑誌を広げた。と、思う間もなく、雑誌で、私以外の人には隠しながら、男はチャックからモノを取り出して、もう片方の手でしごき始めた。
すると、電車のドアが開き、斜め向かいに座っていた男性が降りて行った。
車両には、私と露出狂の二人っきりになった。
さすがにビビッたが、怖そうな素振りを悟られると、図に乗って来るかもしれない、と思った。
そこで私はすかさず、
「アハハハハハッ!」と、大声で笑いだした。
露出狂はひるむ様子もなく、
「可笑しいですか?」と、嬉し恥ずかし、といった調子で話しかけた。
その、あまりに人の良さそうな声が意外だったが、それでも油断はできないので、私はさらに笑い続けた。
「そんなに可笑しいですか?」
露出狂は、困ったように照れたように、もじもじしながら言った。
その時、ドアが開いた。
ホームには急行を待っているらしき若者がいたが、ちょうど彼の真向いに私達が対峙する位置で電車は止まった。
私は笑い続けたが、若者は、自分に向かって笑っている、と思ったらしく、ムカッとした様子で、電車に乗り込もうか乗るまいか逡巡している様子だった。
私は、若者が怒って乗り込んで来たら、
「ごめんなさい。あなたでなく、この人が可笑しくて。」
と、露出狂の存在を知らせようと思って、さらに笑った。
若者はもはや怒りの頂点といった表情をしたが、電車には乗らなかった。
やがて、私の降りる駅になり、私はなんでもないような素振りで降りた。
露出狂は、追っては来なかった。
あの若者には悪い事をした、と思った。
三十代になって、今度は友人として、露出の趣味のある男性と知り合った。
彼と話して、びっくりしたのは、世間では、露出するような輩はレイプ犯の前段階のごとく見られているが、露出狂は、基本マゾヒストなので、まず自分から攻撃的になって襲ってくる事はない、という事だった。
「だって、見られたいなんてマゾに決まってんじゃん。」
彼にとっては自明な事だが、私にとっては新鮮な発見だった。
そう言われると、あの電車の露出狂の、妙に人の良さそうな様子も納得できた。
露出狂にとって、一番嬉しい反応は、
- 馬鹿にして大笑いされる
- 軽蔑したようにツンと無視される
- 激怒して罵られる
の、いづれかであるらしい。
「へぇ~、てっきり『キャーッ!』とか怖がらせたいのかと思ったよ。」
「『キャーッ!』は興醒めしちゃうなぁ。見下されれば見下されるほど興奮する。」
と、いう事だった。
なかなか奥の深い世界である。