狂人作家         黒田幻の日記

    心理学・精神分析に興味を持っていた社会不適応者。ついに自分自身が精神病になる。    幻覚・幻聴実体験記「狂気」絶賛発売中!

幻想の向こう側へ行きたい⑤ 愛と自由が欲しかったんだろう

 前の記事に自分でコメントをつけたが、はてなブログにログインしていない人には表示されないみたいなので、貼り付けておきます。

 なぜ、そんな事をするのかというと、この前のコメントから、今回のテーマを思いついたからです。

 

 

まぁ、今ではおばさんになったから、ホレられる事自体が無くなった→ゆえに、束縛される事も無くなったので、めでたしめでたし、と思うべきか。でも、本当、羨ましかったな、そういう束縛の無い恋愛ができる人が。なんか、ニューハーフ顔で、モデル体型の人だとそういう恋愛ができそうとか、自分に無いものを羨んでいたのだが、実際の所はどうなんだろう?

 

さらに、MT~の人や、ニューハーフやゲイの人達は、自由に見えて羨ましかったんだけど、とある純女さんの知人(LGBTが身近な人)曰く、「ええ?ゲイの人の嫉妬ってすごいんだよ」(知らないの?的なニュアンスで)と。要は、束縛があってもものともしないだけのパワフルな行動力の問題か?

 

 

嫉妬というテーマで書いてみたいと思った。

 

 私は、パートナーの浮気に関して嫉妬して束縛するという事はしないが(行動に対する過干渉や束縛は、かつて親にさんざんされたので沢山だ、自分も束縛しないから、どうか自分を束縛しないで欲しい、という気持ちがある)、自分が羨ましいと思う境遇を手に入れられている人に対する嫉妬心は、人一倍ある方だと思う。

 

 で、今回のテーマにつながって行くわけだが、かつて、かなり分厚い、チャールズ・マンソン・ファミリーに関する本を読んだ事がある。

 全体のトーンは、常に客観を貫き、主観的な批判、あるいは同情は抑えられていたのだが、私は、その本を読んだ時、一番興味を持ったのが、チャールズ・マンソン本人以上に、マンソン・ファミリーに入っていた信者達が、凄惨な事件(特に有名なのがシャロン・テート殺人事件)を起こすまでの心理だった。

 

 これらの事件は、よくオウム真理教と比較されるが、オウムには無い要素もある。

 女性信者による妊婦の殺害。

 これは当時、なぜ女性が女性にこんなにひどい事ができるのか、世間の驚愕はそこに集まったと思う。

 ドラッグ・カルチャー真っ只中の事件で、LSDでイカレテいた、というのもあると思うが、鍵は嫉妬だと思う。

 

 有名人になりたかったチャールズ・マンソンの、ハリウッド住民たちへの嫉妬もあるが、スーザン・アトキンスを始めとする女性信者達の「愛と自由」を両方手に入れた女性への嫉妬が、大きな鍵となっている気がする。

 

 ヒッピー・カルチャー&フリーセックスの時代。

 女性信者は、一人残らずマンソンの愛人だった。

 だが、マンソンはサイコパスで、信者達のルサンチマンを掬い取り、共感の意を示す事は出来ても、最後は自分自身しか愛せない。

 いわゆる当時のヒッピー・カルチャーが理想とした、家父長制社会に対するアンチテーゼとしてのフリーセックスではなく、たった一人の強大な家長と、多くの奴隷による家族を築いたのであった。

 

 これも、原本が今手元に無いので、記憶であるが(このブログ、こんなんばっかりですみません)、信者達は、厳しく無理解な親のいる家庭からドロップ・アウトした者が多かった。

 自由も愛も無い家庭だ。

 

 グレて売春婦になった母親から、徹底的な拒絶を受けて育った(というか、親元にいるより年少で過ごした年月の方が多かった)マンソンは、彼らの傷に共鳴する要素を持っていただろう。

 だが、単に愛や理解に飢えた若者よりも、誰も愛す事のできないサイコパスの方が、パワーゲームでは圧倒的に有利に立つ。

 

 フリーセックスとはいっても、誰もが対等な自由恋愛ができるのではなく、信者(特に女性信者)は、マンソンが利用したい相手に近づくため、身体を提供する道具でしかなかった。

 

 それでも、有名な信者の一人、スーザン・アトキンスは、逮捕後、法廷で

「あんた達に何がわかるっていうの?チャーリーは、親に見捨てられ、道路に打ち捨てられた子供達(自分達)みんなを救ってくれたのよ!」と叫ぶのだ。

(このセリフも、原本が無いので、記憶によるものです。すいません)

 

 ファミリーの女性達は皆、足首に誰の所有物であるかのタグがつけられ、昼は、ファミリーの食事をまかなうため、レストランのゴミ捨て場を漁る生活だったらしい。

(華やかな有名人に次々と近づいて行ったが、レコード・デビューも反故にされたマンソン一家は、実際の所困窮していたらしい。)

 

 スーザンを始めとする信者は、愛と自由を求め、厳格で無理解な家を出、その愛と自由を与えてくれそうな幻想を振りまく人物について行ったが、その人物は、吸血鬼のようにそれを他人から吸い取る手管に長けていた。

 愛の枯渇、精神的な欠乏状態に、さらに惨めなゴミ漁りの仕事を課せられ、ゴミ捨て場からさえ、ののしられ、追われる生活…。

 

 全く不幸な事だが、シャロン・テートは、マンソンの指示間違いで殺されたとも言われる。

 レコード契約を反故にしたプロデューサーを襲うはずが、彼は引っ越し、その時屋敷に住んでいたのが、ロマン・ポランスキーシャロン・テート夫妻だったとも。

 

 だが、信者達にとっては、それはどうでもいい事だったのかもしれない。

 これはあくまでも推測だが、いくら豪邸でも、そこの家が古臭い価値観に縛られた、保守的で厳格な家だったら、彼らはあんな残酷な殺し方はしなかったんじゃないかと思った。

 羨ましい、という気持ちを掻き立てるものがそこにあるからこそ、激情し、ナイフを数十回も突き立てたのではないか。

(一説によると、シャロンの腹を切り裂き、胎児を引きずり出した、とも言われている)

 

それはハリウッドのような先進的な有名人が住んでいる、彼らが決して手に入れる事ができなかった「愛と自由」が両方ある家の住人だからだったのではないだろうか?