狂人作家         黒田幻の日記

    心理学・精神分析に興味を持っていた社会不適応者。ついに自分自身が精神病になる。    幻覚・幻聴実体験記「狂気」絶賛発売中!

参院選、都知事選、自分のライブ、なんだか忙しい

 土曜出勤の日もあるが、今日は休みなので、参院選期日前投票に行って来た。

 明日は、夕方からDTMレッスンがあり、その前に都知事選のチラシが届く。

 

 宇都宮健児さんが、都知事選に出馬するので、月~水まで職場にも休みを届け出て、朝から晩までチラシ配りをするのだ。

 今回は、石田純一さんが野党統一候補になるのではという話もあるが、石田さんは出馬する決意もあるが、他の方が統一候補になれば降りる可能性もあるという。

 石田さん、なかなか立派な方だと思う。

 だが、政策の充実度でいったら、宇都宮さんの右に出る人はいないと思う。

 なんとか、勝たせたい人だ。

 本当は、14日もポスター貼りをしたかったのだが、4日間はダメだと、休みを受理されなかった。

 

 18日、海の日にライブが決まっているのだが、参院選と都知事選に挟まれていて落ち着かない。

 吉祥寺のクレッシェンドという所でやるのだが、まだスタート時間、出順も決まっていない。

 

 写真は、知り合いの人が、私のイラストを元にバッジを作ったもの。

 「都政地蔵」というアイディアは、その人が出して、私がイラストを描いた。

 あと、以前UPした宇都宮さんのイラストをカラーにして、それをバッジにしたのもあるのだが、今私の手元には無いので、カラー版の原画をUPした。

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日本会議が推奨する家族観が気持ち悪い

 表向きには、「仲の良い家族」というイメージを持ってくるが、やりたい事は「家父長制」に戻す、そういう事である。

 私にとっては、家父長制は、女子供の人権の無い、DVや虐待の温床にしか思えない。

 

 以下は、私のごく個人的な体験であるが、何かしらこの中には、普遍的な事柄も含んでいると思うので、あえて書こうと思う。

 

 以前このブログでも書いたが、私の母の両親(私の祖父母)はDV夫婦であった。

 母は、幼い頃からその影響で精神不安定になり、宗教に救いを求めた。

 しかし、それが、谷口正春(初代教祖)時代の「生長の家」であった。

 

 ここで、知っておられる方にはくどいが、知らない方のために説明を付け加えておくと、

現在の「生長の家」は三代目教祖率いる、エコロジー脱原発を掲げる宗教で、初代教祖からの極右路線をそのまま継承する幹部を首にしたり、またそうした人々(極右路線)の方から反発して出て行ったりして、お家騒動になっているらしい。

 最近、宗教法人生長の家」では、声明を出し、原発を推進する自公は支持しない、野党統一候補を支持する、また一部の元信者が、日本会議に関係している事を遺憾に思う、と述べた。

 詳しくは菅野完著「日本会議の研究」を読んでいただくとわかるが、安倍政権下の大臣職の大半が加入している「日本会議」、日本会議とほぼ同一の組織「日本青年協議会」、そしてこの二つとほぼ同じ主張をしている「日本政策研究センター」は、いづれも、初代教祖の思想を引き継ぐ元生長の家の人達が作った組織である。

 

そして、その思想の特徴は、ピラミッド型の構造を好み、天皇を頂点として、全ての組織、家族の内部でも強固な上下関係を築く事を良しとしている。

 こうした事を好む性質から、安倍政権が貧富の差を拡大し、軍事に力を入れる事は、社会全体のピラミッド構造化と親和性があるとも言えるのではないか。

 

 子供の頃からずっと聞かされてきた、私の母の口癖は、ほぼ日本会議系の自民党の幹部が口にする事と一緒だった。

 「個人主義は諸悪の根源」

 「みんなが好き勝手な事をしているから、社会が悪くなる。がん細胞と一緒。それぞれが分相応の役割を果たし、歯車の一つとして機能すれば、国や社会全体が良くなる」

 

 他に、例を挙げると切りがないので止めておくが、ようするに、家族、会社、学校、全てがピラミッド型にきちんと上下関係があり、その一番上に天皇があるのが理想の国、という事だ。

 

 私は、今の天皇皇后は平和主義者なので好きだが、母がこうした事を言い出す度に、何とも形容しがたい嫌悪を感じていた。

 

 これも、以前のブログに書いたが、母は自分の両親のDVの影響で男性不信や嫌悪がものすごく、それを父にも投影していた。

 私達姉妹は、物心つかないうちから、

「お父さんとセックスするのが嫌だ、お父さんには性欲だけで愛情が無い」

「お父さんの事、尊敬したいけれど、どうしてもできないのよ。」

とグチを聞かされ続け、その上で

「女は男に従うのが良い」

「お嫁さんの衣装はね、和装でも角隠しといって、女の人は強くあってはいけないとされているし、洋装でも、純白のウェディングを着るのは、何でもあなたの色に染まります、という意味で、世界各国で妻は夫を立てる事が良いのよ」

と言われ続けた。

 

私は、今でも自分が結婚するとかあり得ない、という強固な嫌悪感がある。

同時に、自分が女である事が嫌でたまらない。

自分の事を女として意識してくる男はことごとく気色悪いし、意識される自分も気持ち悪い。

それに、男女の差異に関する話題を耳にしただけでも気分が悪くなり、そういう日は一日不愉快になる。

 

私は、両親のDVを目撃し続けた母が、何故素直にウーマンリブフェミニズムの方向へ行かず、よりによって男尊女卑の宗教(母によると、卑しんでいる訳ではなく、従順な女は美しい、という事なのだそうだが)に走ったのか理解に苦しんだが、たぶん、理由はこうだと思う。

母は、昔から人前に出ると緊張して、今でいうパニック障害みたいな症状があった。

それ故、経済的な自立が難しかった。(ただでさえ、女性が自立できるのは難しい時代だったし)

専業主婦をやるしか選択の道の無い母が、自分を肯定してくれると思ったのは、ウーマンリブフェミニズムではなく、専業主婦を肯定する封建的な宗教の方だったのではないか。

 

しかし、それでも、母の言動は常に矛盾に満ちていた。

私達子供には、

「親に感謝しろ」

「母の愛」「母の愛」としつこく言う割には、避妊をしない父にブチキレ、

「家畜じゃあるまいし、こんなに次から次へと産まされたんじゃたまらないわよ!」

と叫ぶなど、要するに、自己肯定感を得るために、宗教が勧める母性あふれる良妻賢母像に必死に同化しようとしながら、本心では決して夫も子供も愛してはいないのである。

 

 母に愛されない父は、一時期、谷口正春の「生長の家」を読んで、急にいばりだした。

 「俺は家長だぞ!」

 「誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ!」

が毎日の口癖となった。

 この頃は、私は父の事が大嫌いだった。

 でも、力ではかなわないのでずっと我慢していた。

 我慢が限界に来ると、あらかじめ逃げる用意をしてから(靴を玄関に出しておく、玄関を開けておく、チャリを塀に立てかけておくなど)

 「馬鹿野郎~!死んじまえ!」と父に怒鳴り、一目散にチャリで逃げ出し、公園などで夜を明かしていた。

 

 父は、その後、穏やかで優しい性格に変わるのだが、この頃の体験は、私の性格を形づくる原点のようなものになっていると思う。

 

 母と家族、というテーマでは、他にも二つ、印象に残っている話がある。

 

 母が子供の頃、隣の家の男の子と仲良しだったが、ある日母がトイレにいくと、隣の家からその男の子の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。

 トイレの窓から覗くと、その子の母親が、その子を柱に縛り付け、物差しで何度も何度も殴っていた。

 別の日、母は橋の上でその子を見かけた。

 その子は、猫の首に縄をつけ、橋の上から何度も何度も猫を川に投げ落として遊んでいた。

 母は、声を掛けられず、黙って通り過ぎた。

 

 もう一つは、母の兄の話である。

 その兄は若い頃、病気で死んだと聞かされていたが、実は、ある日、祖父と口論になり、祖父に殴り殺されたというのだ。

 昔の時代だったから、今のように警察も、家庭の中で起こった不審死を詳しく調べる事はしなかったという。

 

 この二つの話や、自分自身の家族体験からいっても、私はピラミッド型の家族のあり方を良しとする家族観が大嫌いだ。

 

 自分の母親の、良妻賢母を装う欺瞞的な態度と共に、日本会議の推奨する「家族の絆」には、どうしても不信感を覚えてしまうのだ。

似顔絵ってむずかしい

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今、ある人に頼まれて、とある人(別の方)の似顔絵を描いている。

私が尊敬する人の一人で、偶然であるが、やはり尊敬している精神科の主治医の先生にも似ている。

二人とも共通しているのは、人柄が顔に出ていて、いい顔な所。

 

最近は、禿げたら終わりみたいな言い方や、女性に対しても劣化とか、年を取る事は男女どちらにとってもマイナスしかないみたいな言い方がよくされるが、禿げようが何だろうが、尊敬に値する生き方や心が顔ににじみ出ている人は魅力的である。

 

ちなみに、こちらが書きかけの似顔絵。

もっと、いいおじいちゃんって感じに老けさせて、という注文がついたが、物静かな中にも、はつらつとしたバイタリティーを感じさせる人なので、やみくもに老けさせても本人らしくなくなってしまう。

優しそうだけど、自信を感じさせる

知的だけど、親しみやすい

ここら辺をうまく表現できるにはさじ加減が難しい。

私にはまだまだだな、と思う。

 

ちなみに、すごくデフォルメして、でも似てる似顔絵を描ける人はすごいと思う。

 

 

 

「日本会議の研究」を読んで

 著者の菅野完さんの講演に行った事があるのだが、その時は明かされなかった、ヤバい事実が2点。

(たぶん、これらが日本会議側が扶桑社に差し止め要求をしている理由と思われる)

 

 一つには、日本会議と密接な関係にある「日本政策研究センター」のセミナーでの質疑応答で、

質問者「(略)緊急事態条項の追加などであれば合意も得やすいとは思う。しかし、我々は、もう何十年と、明治憲法復元のために運動してきたのだ。今日のこの内容の話を、周りの人間にどう説明すればよいのか?」

日本政策研究センター側の回答「もちろん、最終的な目標は明治憲法復元にある。しかし、いきなり合意を得ることは難しい。だから、合意を得やすい条項から憲法改正を積み重ねていくのだ」

という、やりとりがあったという。

 これは、現在自民公明を支持している人達の多くですら、まさかと思うのではないか。

 

 あと、もう一点は、あまり表に名前は出ないが、安東巌氏という人物が影の大ボスで、元「生長の家」の活動家。

 元が付くのは、現在の「生長の家」は、三代目教祖になってから、ナショナリズム路線からきっぱり転向。そこで、ナショナリズム路線の初代教祖の教えを引き継いだのが「谷口雅春先生を学ぶ会」。この「生長の家原理主義ともいうべき団体が、事実上、日本会議日本青年協議会日本政策研究センターなどの母体となり、安倍政権を支えているのである。

 なお、この安東巌氏の罠に嵌められて、70年代安保闘争の時代に、「生長の家」を追われたのが、現在「一水会」の代表である鈴木邦夫氏である。

 

 安倍政権を支えているのは、「明治憲法復元」の為に何十年も地道に活動をしてきた人々なのである!

 

 一刻も早く終わらせなくては危険な政権なのだ。

電車の人身事故でいつも思う事

 遅れた事に腹を立て、飛び込んだ人間に対する罵倒の言葉が、乗客から聞こえてくる時が一番つらい。

 これは何もヒューマニズムの観点から言っているのではなく、私自身が幼児期~10代を、何のために生きているのか分からない、生きていたくないと思いながらずっと過ごしてきた事に由来している。

 死ぬ勇気が無かったから、ただずっと生きていたのだ。

 自殺できる人間は、私にとって羨望の的であると同時に、「生きていたくない」を共有する同情と共感の的でもあった。

 

 飛び込んだ人間に対する罵倒の言葉は、そのまんま自分に言われているように突き刺さる。今でもそうだ。

 

 延々と続く学校でのいじめ。

 登校を嫌がる私を、「ずる休みは許さない」と言って、家中を引き擦り、外に放り出す両親。

 学校から帰れば、今度は「一日5時間以上勉強しろ」と言って、後ろで見張る父。

 私の事を事細かに干渉し、全てに先回りしてレールを敷く癖に、いじめられていた事に対しては、全くかばってなどくれず、私が大袈裟であるかのように嗤う母。

 常にあった頭痛や腹痛。

 風邪で具合が悪くて寝ていても、私が常に勉強していないと腹を立て、「椅子に縛り付けておけ!」と母に怒鳴る父。

 

 中学の一時期、演劇部に入った事がある。

 父が怒り狂い、私が部屋でセリフの練習などしようものなら、「ヒーヒーヒーヒー変な声出しやがって!」そして辞めるまで、毎日「辞めろ!」「辞めろ!」と怒鳴った。

 「お前は将来、芸能界にでも入りたいのか?」と聞かれた事がある。

 私は「そうだ」と答えた。

 「お前には向いてない、辞めろ!」

 実際、自分には向いていなかったかもしれない。

 だが、私がそう答えた背景には、一部、自分をスクールカーストの底辺として見下している奴らを見返したい、という思いもあったが、多くの部分、演じる、という事に焦点が合っていた。

 私には性別違和があって、将来、OLとか主婦になって他の女性と女性ならではの会話をする所などが全く想像できなかった。

 だが、それらを全くの演技でもってするなら、なんとか出来るかもしれない、と考えていた。

 だから女を演じる女優になれば、自分でも女をやっていけるかもしれない、と。

 実際、こんな理由で女優に成れるものなのか、はなはだ疑問点が残り、父の「お前には向いてない」の方が正しかったのかもしれないが、それを否定された私には、将来何になりたいかが全く思い浮かばないのであった。

 

 高校になって、今度は医者になりたい、と漠然と思った。

 これも、世の為人の為という立派な心がけからよりは、小中学校時代に自分を馬鹿にした奴らを見返したいという気持ちの方が強かったのだが、それより強いのは、一体何の為に勉強しているのかの理由付けが欲しい、という理由だった。

 とにかく、派手で華やかな事は断固として反対する両親だ。

 あれほど「勉強しろ」としつこく言うのだから、お堅い、勉強に因んだ目標だったらいいのかもしれないとも思った。

 今度は、母が、「祖父の所へ行ってそれを言いなさい」と言った。

 この真意は何だったのか、とにかく良く取れば、家だけで医学部の費用を工面するのは難しいから、祖父に出して貰えないか頼んでみろ、という事なのかもしれないが。

 祖父は、自分自身が医学部に行きたくて、費用の点で挫折した人間だった。

 祖父は祖母に対してはDV夫だった。

 所詮DVをするような男が、孫に対して、自分が叶わなかった夢を援助してやろうなどと寛大な対応をするはずもなく、烈火のごとく怒り狂い、「お前は生意気だ!」「男と女では頭の出来が違うんだ!」と怒鳴り散らされた。

 女医さんだっていっぱいいるのに、男と女で頭の出来が違うとか言うのは理由になっていないが、とにかくまたもや「お前には無理だ」の一点張りだった。

 悪く取れば、母はこうなる事を予想して、私を祖父の所へ行かせたのではないか、と思えてならない。

 

 何のために勉強するのか、何の為に生きているのか、全くわからない10代。

 でも、とにかく「見返してやりたい」だけでガリ勉していた。

 

 高校は、私立の有名校へ入った。

 でも、全く楽しくなかった。

 自分と話や気の合う人間は一人もいなかった。

 外部から入ってきた人間は、各々の出身校で常に生徒会長とかやっていたような人達。

 エスカレーターで上がってきた人間は、とにかく派手で華やかな雰囲気を身に着けていて、貰っている小遣いの額が0一つ分違うような金持ちリア充

 私みたいに、小中ずっといじめられていたなんてスクールカーストの底辺は一人もいない。

 高校では、いじめには遭わなかったものの、行くと自分が惨めになるのは、むしろ小中学校時代以上だった。

 

 修学旅行とかもちっとも楽しくない。

 その全く楽しくない修学旅行の列車が事故に遭った。

 急ブレーキで止まり、「只今、子供が列車に飛び込んだため、急停車しました。」とのアナウンス。

 停まったままの車内に缶詰めになった高校生たちは、飛び込んだ子供をネタにして笑った。

 「お母さんに叱られたとかつまんない理由でしょ」

 「ウェ~ン、死んでやる~」

そういって飛び込む真似をする者がいると、皆からどっと笑いが起こった。

 

 私は皆から離れた席で、一人で泣いてしまった。

 劣等感とは無縁のリア充達が、死にたい自分を嗤っている。

 

 国語の男性教師が、私を見つけ、「君は優しいね」と言った。

 

 その後、その教師は、ぼっちでいる私を無断で写真に撮ると、

「よく撮れたよ」と言って、写真を手渡ししたりするようになった。

 そこには、全く制服の似合わない、無様でちんちくりんの醜い物体が写っていた。

 教師は、たぶん励まそうと思ってそうしたのだろうと思った。

 だから、彼の前では素直に受け取ったが、一人になると嫌悪感に耐えられず、破って捨てた。

 

 ある日、通学電車の中で痴漢に遭った。

 どんなヤツだか、顔を見てやろうと思って振り向くと、そこにその国語教師がいた。

 私は呆気に取られたが、彼は悪びれもせず、いつものように微笑むと、私が降りる、その学校のある駅で先に降りて行った。

 

 今でも、その時の光景が事実であるのか自信が無い。

 そもそも、今の私は、幻覚、幻聴を伴う病に罹患している。

 その兆候が当時からあって、幻覚を見たのかもしれないからだ。

 

 だが、その日以来、その国語教師を全く信頼しなくなった。

 

 友達もいない、信頼や尊敬できる大人もいない空虚な10代。

 

 今でも、人身事故で列車が止まる度、その頃の不快な記憶がよみがえる。

 

 

 

追記

 

 つい最近まで、人身事故の1位は自殺だと思っていたが、実は踏切が渡りきれなかったお年寄りが1位なのだそうである。

 ちょっと前も、慎重に、何遍も踏切が開いたり閉じたりするのを見送っているお年寄りを見かけた。

 足が未だ健康な世代には、踏切を渡るのが命がけのお年寄りの心境なんて、ほとんどの人はなってみなければわからないだろう。

不思議な犬を見た

尻尾の無いようなお尻、コロンとした胴体、後ろ姿は紛れもなくコーギーなのだが…。

顔の模様がなんとシベリアンハスキーだった!

画像で紹介できないのが残念だが、勝手に人様の犬を撮ってブログにUPするのも問題かと。

人面犬を見た、位の衝撃だった。